石毛宏典が振り返る1974年の「黒潮打線」銚子商。「篠塚(和典)はひ弱な印象だけど、投手力が際立っていた」

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News、Sankei Visual

篠塚は「好打者」。打線より「土屋でもっているチーム」

――打つほうでは、5試合で48安打29得点を挙げた強力打線が売りでした。そこで4番を打っていた篠塚さんはどんな打者でしたか?

石毛 篠塚は僕らのひとつ下の学年でしたが、線が細くて、ひ弱な印象でした。4番で甲子園でもホームランを打ったりしていましたけど、僕らとの試合ではあまりホームランを打たれた記憶がありませんし、「強打者」ではなく「好打者」という雰囲気でしたね。そもそも昔は、ホームランを打つ選手なんてほとんどいませんでしたから。バットも木製でしたしね。

――ちょうど1974年の夏の大会から金属バットの使用が解禁されましたが、篠塚さんはそれまで同様に使い慣れた木製バットを使っていたそうですね。石毛さんはどうでしたか?

石毛 自分も木製バットを使っていました。王貞治さん(現ソフトバンク球団会長兼特別チームアドバイザー)が現役時代にずっと使っていた、千葉県で作られていた「ジュン・イシイ」というしなりのある圧縮バットがあって、試合前にひとり2本ずつぐらい支給されていたんです。木製バットのほうが慣れていましたしね。

――実際に、金属バットを使った選手は6割程度だったそうですね。話を"黒潮打線"に戻しますが、どんな打線でしたか?

石毛 1番・ショートの宮内英雄は、"嫌らしい"という感じの打者でしたね。4番・サードの篠塚はもちろん、エースの土屋もよくヒットを打つし、確かにいい打線だったと思います。ただ、打撃よりも投手力が際立っていて、「土屋でもっているチーム」という印象でしたけどね。守備はよく鍛えられていましたし、篠塚もグラブさばきやスローイングなどにはセンスを感じました。

――土屋さんの、投手としてすごかったところは?

石毛 とにかくコントロールがよくて、スタミナもありました。印象に残っているのはストレート。当時は基本的に真っ直ぐとカーブくらいしかなかったんじゃないかな。昔はどの投手もそんなもんですよ。スライダーなんて、高校生ではあんまり投げる投手はいなかった。

 1974年の県大会の決勝で市立銚子は銚子商に0-2で負けました。僕も土屋に抑えられてしまって4タコでしたね。

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