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阪神ドラ1・森木大智「消えた天才だけにはなりたくなかった」。高校入学時から苦悩と挫折を重ねた3年間 (2ページ目)

  • 寺下友徳●取材・文 text by Terashita Tomonori
  • photo by Terashita Tomonori

 だが、順調に回っていた彼の歯車は高校入学後、微妙に狂い始める。1年春の四国大会で思い出の坊っちゃんスタジアムで公式戦初登板。じつはこの時から、森木は「中学時代とは違う感覚」をかぎ取っていた。

「練習や練習試合ではいいボールがいっても、公式戦で力が入ると、ボールに力が伝わらない。バッターによっては変化球を投げなきゃいけないのに、変化球も自信がない。マイナスな気持ちで投げていました。『打たれても次は抑えてやる』と思っていた中学時代とは逆の感覚だし、自信がない気持ちで投げたのは初めてでした」

 当然、森木は違和感への克服策を練る。「ボールの質を上げることに意識を変え、遠投を採り入れた」。1年夏を迎える前に148キロを出し、高知大会では決勝戦で明徳義塾に敗れるも大車輪の活躍。ただ、その反面......。

「まずフォームを見失っていました。本来はオーバースローなのに肘が下がっていたんです。それはのちのちわかったことで、当時は気づかなかった。そして1年夏は、ストレートでは押せていたんですが、自分の気持ちが上がらなくて無理やり投げながら吠えていたんです。今考えると中学時代は三振が取れていたのに、高校ではバットに当てられてしまうことに、自分自身で勝手にハードルを上げて悔しさを感じていたんです」

「世間の声はまったく気にしなかったし、中学時代の結果は関係ないと思っていた」と言いながら、結果的には自分自身が中学時代の幻影と戦うことになってしまった森木。そして高校1年の8月。彼の右肘は休養を求めた。「肘が下がっているのに無理やり上げようとして腕を振ってしまった」。

 早期診断が功を奏し、断裂の一歩手前で食い止めたものの、秋の公式戦のマウンドは高知中央にコールド負けした県大会の準々決勝でのリリーフで打者1人のみ。「これが軟式球から硬式球に変わった時に起こるケガなんだな」と痛感したという森木は、ここではじめて技術だけではない「心」と真剣に向き合うことになる。

高知高のグラウンドでインタビューに応じる森木高知高のグラウンドでインタビューに応じる森木

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