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ギリギリの出場、主将離脱、父子鷹...。東海大相模が劇的ストーリーで10年ぶりの優勝 (2ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 東海大甲府戦で決勝打を放つなど、ここまで攻守でチームを引っ張ってきたキャプテンの大塚瑠晏(るあん)が急性胃腸炎で戦列を離れたのだ。試合に出場できないどころか、ベンチにも入れない非常事態。東海大相模は核となるリーダーと守備の要を失った。

 東海大甲府に雪辱し、ドラマが盛り上がりつつあったところで、またしても予想外のピンチに陥った。そんな悲劇がストーリー性をさらに高めた。

 大塚が不在になったことでクローズアップされた人物がいる。門馬監督の息子である功(こう)だ。副主将を務める門馬は、大塚がいなくなったことで必然的にキャプテン代理としてグラウンドに立ち、それまで以上に"父子鷹"に注目が集まった。

 準決勝後の取材では、何人もの記者が門馬監督の恩師である原貢と息子の原辰徳(現・巨人監督)親子と重ね、なんとかエピソードを引き出そうとしていた。

「病床に伏す大塚キャプテンのために」
「親子で日本一」

 試合前からある種のストーリーができあがっていた。

 一方、明豊は勝てば初優勝という話題はあったが、東海大相模に比べると特別なストーリーはなかった。もちろん、どんなチームにも知られざるストーリーはあるが、スタンドの観客や高校野球ファン、メディアが飛びつくような共感を生む物語があるかどうかも重要なのだ。

 とはいえ、試合では明豊が"相模物語"のシナリオを壊す可能性は十分にあった。決勝の門馬監督のプランは、エース・石田隼都(はやと)を起用するのは7回からの3イニング。それまでを石川永稀(えいき)、求航太郎(もとめ・こうたろう)たちでつなぐ計算だった。

 ところが、先発した石川がピリッとしない。得意のツーシームのキレがなく、明豊打線に痛打される。4回一死満塁で降板するまで、7安打4四球と常に走者を置く苦しい展開を強いられた。

「2点取られるまでは......」と辛抱して石川を引っ張った門馬監督だが、それができたのは初回の1失点で踏みとどまっていたからだった。2番手で登板した求も本調子ではなく、結果的に石田を「ひとつ早くなった」と、6回二死一、二塁のピンチで投入することになるが、それまで三者凡退が一度もなく、常に走者を置きながらも2失点なのだから御の字。

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