甲子園記念大会の奇跡、白山高校の今。まぐれじゃなかったと奮闘する日々 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kikuchi Takahiro

 試合後、東監督はあらためて横浜の強さと白山の課題について語った。

「横浜高校は選手の能力が高いのはもちろんなんですけど、しつこい野球ができますよね。ボール球を簡単に見逃してくるし、空振りはしないし。一つひとつのプレーをしっかりとやってくる。ウチにできることとできないことはありますけど、できないなりに最低限のことができないと。昨日の東邦も今日の横浜も、きっちりした野球をやってきた。ウチもきっちり力をつくって、もう1回、甲子園に行きたいですね」

 試合中、驚かされたことがあった。それは白山ベンチに前松阪商監督の冨山悦敬(よしたか)さんがいたことだ。

 冨山さんは2年前の夏、三重大会決勝で白山と甲子園出場をかけて戦った松阪商の監督を務めていた。冨山監督にとって64歳にして初めての甲子園が目の前まで迫っていたが、松阪商のチームリーダーが試合開始直前に負傷退場するなど不運もあり、2対8で敗れている。昨夏限りで松阪商の監督を退いていた。

「監督をやめたあとも松商の指導を手伝ってたんやけど、今年の8月から白山も手伝ってるんや。東くんとは野球に対する考え方も似てるし、白山は家からも近いしな」

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 冨山さんは白山町に住んでいる。2年前の白山の甲子園出場時には地域内で白山高校への寄付金を募る動きが活発化し、冨山さんの自宅にも寄付金を求める回覧板が届くという皮肉な事件もあった。

 松阪商の強打線をつくり上げた冨山さんが白山で指導を始めると、ある大きな変化が起きた。当時は打力が高くなかったエースの町が、急成長したのだ。

 町は「冨山先生のおかげで打てるようになりました」と証言する。

「それまでヒットもほとんど打てなくて、空振りばかりだったんです。冨山先生に見てもらうようになって、『三振でもいいから、たまに打つ打球をバコンと打て』と言われて、打てるようになりました」

 町の言葉だけでは理解しがたい理論だが、要はボールに当てにいくことなく、インパクトでパワーを伝えられる打球を打つように指導されているようだ。8月から本格的に打撃練習を始めた町は、東邦戦での2本塁打を含め短期間で9本塁打と長打力が目覚めつつある。

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