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松井秀喜に5敬遠。ヒールと呼ばれても慕われる明徳・馬淵監督の素顔 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

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 とはいえ馬淵監督が常に勝負にこだわり、勝利に執着するイメージは残り続けていた。高校野球の監督は、大まかにいえば「勝負師タイプ」と「教育者タイプ」に分けられる。多くの監督は勝負師、教育者の両面の要素を持ち合わせているため完全に色分けするのは難しい。だが、馬淵監督に関しては完璧な勝負師タイプだろうと私は決めつけていた。

 私が高知県須崎市の谷底の秘境のように存在する明徳義塾・堂ノ浦キャンパスを訪ねた理由は、「野球留学生」をテーマに取材を重ねていたからだった。

 明徳義塾は日本全国から部員が集まり、共同生活を送る。中学校も併設されているため、なかには12歳から6年間を過ごす者もいる。また、全校生徒の3分の1が外国人留学生でもあり、野球部には韓国人やモンゴル人の部員も在籍する。

「師弟同行」という学校の方針のもと、教職員も敷地内で生活する不思議な空間を関係者は「明徳村」と呼ぶ。そんな生活に興味を持った私は、学校関係者を通じて馬淵監督に取材の許可をもらっていたのだった。

 ところが、挨拶もそこそこに私は馬淵監督から「取材拒否」を受ける。詳しい顛末は拙著『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』をご覧いただけたら幸いだが、簡単に言えば私の取材趣旨の切り出し方のまずさと、デリカシーのなさが問題だった。

 馬淵監督が態度を硬化させた大きな原因は、私が「野球留学生についてお聞ききしたい」と尋ねたことだろうと思う。私自身は「野球留学生」と呼ばれる越境入学者に対して、フラットな見方をしていると自負している。いや、それは建前で、むしろ肩入れしているというのが本音だ。一部の高校野球ファンの間で「ガイジン部隊」と揶揄され、ヒール扱いを受ける彼らが不憫でならなかった。野球留学生がどのような思いで日々を過ごしているのかを書きたくて、野球留学生を多く抱える高校を回ることにしたのだ。

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