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部員4人→甲子園常連校へ。帝京・
前田監督が「名将」と呼ばれるまで

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

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高校野球・名将たちの履歴書
第1回 前田三夫(帝京)

「そうかぁ。丸8年甲子園に行っていないということは、監督になってから初出場よりも、ブランクは長いんだね」

 今年3月上旬、所用で顔を合わせた時、帝京・前田三夫監督はそうもらした。甲子園通算51勝は歴代4位タイ。1989年の夏を皮切りに、1992年春、1995年夏と3度の全国制覇を誇る名将だ。

 だが、最後の甲子園出場が2011年夏と、大舞台から遠ざかること8年。昨年秋は東京都大会で準優勝し、もしかするとセンバツ選考会で関東・東京の6校目として浮上する可能性もあったが、それもかなわなかった(センバツ大会は新型コロナウイルスの感染拡大防止により中止)。

 前田は1949年に千葉県袖ケ浦市で生まれた。幼少の頃から野球に励み、木更津中央高校(現・木更津総合)に進学。おもに一塁手、三塁手としてプレーし、高校3年(1967年)夏は千葉大会で準決勝まで進んだが、成東に1対3で敗れた。成東の遊撃手は、のちに阪神で活躍した中村勝広。ちなみに、木更津中央が挙げた1点は前田のスクイズだった。

 その後、帝京大のセレクションに合格し、1968年に入学。帝京大野球部は1966年創部で、翌年秋に初めて首都大学リーグ2部に参入した新興チームで、前田は3期生にあたる。

「上級生は2学年上しかいなかったけど、上下関係は厳しかったねぇ。当時はグラウンドもなく、立川、府中、八王子を転々として練習していました。入学した年の春に2部で優勝して、秋からは1部。でも私はベンチにも入れませんでした。下の代が入ってきたら総勢100人の大所帯になって、ますますベンチ外でした」

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