部員4人→甲子園常連校へ。帝京・
前田監督が「名将」と呼ばれるまで

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 一方で若さゆえの無鉄砲さも発揮し、1970年夏に全国制覇した強豪・東海大相模に練習試合を申し込んだりもした。当時、東海大相模を率いていた原貢監督に「前田くん、日本の高校野球は武道だよ」とアドバイスを受け、宮本武蔵の著作『五輪書』を読みふけった。そうやって前田率いる帝京は徐々に力をつけていった。

 監督就任3年目の1974年夏に東東京大会で準優勝し、その秋の東京都大会も準優勝。1975年春に東京を制して有力校に定着すると、1977年秋に東京都大会で準優勝、翌年のセンバツに念願の初出場を果たすことになる。帝京の監督に就任して6年目のことだった。

 以後は春夏通算26回甲子園に出場し、全国屈指の強豪校へと上り詰めた。高校球界屈指の名将も駆け出し時代は、涙ぐましかったのである。

(文中敬称略)

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