部員4人→甲子園常連校へ。帝京・
前田監督が「名将」と呼ばれるまで

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 柳川さんによると、「(校舎に隣接して流れる)石神井川に落っこちてくれないか」「交通事故にあってくれないか」など、部員の間で物騒なやりとりがあったという。

 だけど前田は必死だった。今でこそ教員免許を持つが、当時は事務職員としての採用である。監督として結果を残さないと職を失いかねない。

「選手をなんとかその気にさせようと、各自にバットを買ったりね。自分用のバットを手にすると選手が張り切るのは、経験上わかっていたから。まだ部に予算もなかったから自腹でした(笑)。試合用ユニフォームの不足分もボール代も自腹だったから、ボーナスなんて右から左だよね」

 夏の大会前には、4人の3年生と戻ってきたふたりの2年生を自宅に泊め、合宿を行なった。

 朝食を摂らせ、弁当を持たせて送り出すと、夜8時までの練習のあと夕食をつくって食べさせた。その気にさせるというより、逃げられてはたまらないというのが本心だったのではないだろうか。

 さらに時間を見つけては、中学校を回り「有望な選手がいたら、帝京を受験してください」と頭を下げた。こうした姿に、最初は反発していた選手たちも徐々に感化されていく。口調はべらんめぇながら、大学時代は下積み生活が長かったこともあり、目配りも細やかだ。

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