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阿波の金太郎2世に異色経歴あり。
池田高校から18年ぶり指名なるか

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • photo by Inoue Kota

「最後だし、思い切って投げよう」

 201610月。雨に濡れた日産スタジアムで、ひとりの中学生が投じた矢が雄大な放物線を描いた。記録を伝える電光掲示板には「7132」の表示。当時中学生だった白川恵翔(けいしょう)が、ジュニアオリンピック陸上のジャベリックスローで日本のトップに立った瞬間だった。

「喜び以上に『えっ? 本当に優勝なの?』という思いのほうが強かったですね」

 当時の心境を語る柔和な表情には、写真で見た表彰台で微笑む少年の面影が残っていた。しかし、179センチ、80キロの均整の取れた体格からは、当時と比べ物ならないほど精悍(せいかん)な雰囲気が醸し出されている。

最速146キロを誇る池田高校の本格派右腕・白川恵翔最速146キロを誇る池田高校の本格派右腕・白川恵翔 最速146キロの直球を武器に、徳島の名門・池田のエースナンバーを2年夏から背負う本格派右腕。小学3年で始めて以降、野球一筋の白川だったが、通っていた中学校の教頭に強肩を見込まれ、中学野球引退後から小・中学生版のやり投げであるジャベリックスローに取り組んだ。

「中学の教頭先生から『肩強いし、やってみんか?』と声をかけてもらって、それならやってみようかな、と始めました。練習は1時間目の授業が始まる前の朝練がメイン。最初は全然感覚が掴めなくて、真っすぐ投げられませんでした」

 手探りの状態ながら、強肩を生かして徳島県予選を突破。本選が開催される神奈川に入ってから行なった練習で、ついに手応えを掴む。

「横浜に入ってからの練習でようやくしっくり感じ始めて。決勝の時は雨が降っていて、投げづらかったけど『最後だし思いっきり投げよう』と。いま思うと、それがよかったのかなあと思いますね」

 大会後は陸上の強豪校からの勧誘もあったが、白川の野球への思いが揺らぐことはなかった。

「そこから陸上に......とは思わなかったですね。高校でも野球を続けること、それも池田の野球部で甲子園を目指す意思がブレることはなかったです。ただ、ヒジの使い方だったり、ジャベリックスローをやらせてもらえたことが、今の投球にも生きているとは思います」

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