選手がいなかった軽井沢高校。ある女子マネの手紙から奇跡は始まった (3ページ目)

  • 清水岳志●文 text by Shimizu Takeshi
  • photo by Shimizu Takeshi

 学校の北側に離山(はなれやま)という円錐形をした軽井沢のシンボル的な山がある。学校よりも標高が200mほど高く、冬のトレーニングには最適だ。だが2017年の冬、とうとう選手はひとりもいなくなり、小宮山さんと監督の漆原伸也(当時)、部長の遠山の3人だけになった。それにしても、だ。マネージャーひとりでどんな部活動をするのか。

「まずグラウンド整備です。草むしりや土入れをしました。掃除をして、不要なものは捨てる。それにノック用、マシン用のボールを仕分けたり。ボロボロになったボールには、テープを巻いていました」

 また、町内のゴミ拾いにも出かけた。選手たちがいるときにはランニングコースとなっていた群馬との県境にある熊野神社に、先生たちと掃除に行った。軽井沢はスケートが盛んで、冬の気温がマイナスになる日もざらになる。水を使う冬の屋外作業は過酷だ。

「手なんてカサカサでした。漆原先生に『女子の手じゃねえな』って。『ハンドクリームをプレゼントしようか』と言われてムカッと。『そういうところですよ、先生。女心がわかってない』って(笑)」

 さらに、先生たちと春に向けて勧誘のポスターづくりを始め、パソコンでの資料の管理も進めた。昔の名簿を見て、「こんなに部員がいたんだ。春に(部員が)入るといいね」と励まし合った。なかでも監督の漆原は熱く、何度も勇気づけられた。

「夏に出たい! その言葉から始めるぞ。『出る』と言わないと、夢はかなわない」

 野球部のホームページにあるブログにも、「夏の大会に出ます」と宣言文を書き込んだ。

 3月、勧誘のポスターを校内の掲示板に貼った。先生たちは入学試験合格者のなかに、中学で野球をやっていた者を探した。そしてピックアップした生徒に、小宮山さんは直筆の手紙を書いた。

「入学手続きの書類と一緒に、手紙も入れました。野球部経験者は7~8人だったと思います。文面は私が考えました。『野球部員がいません。単独出場と夏の1勝が夢です』と。内容を盛ることもなく、ただ本心を」

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