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デッドボールで怒った清原和博に「お前が悪いんだから一塁に行け!」 松永浩美が挑発的な言葉を放った理由■2023人気記事

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

2023年4月、スポルティーバではどんな記事が読まれたのか。昨年、反響の大きかった人気記事を再配信します(2023年4月20日配信)。
松永浩美が語る清原和博の素顔 前編


 1986年、甲子園のスーパースターとして鳴り物入りで西武に入団した清原和博氏は、黄金時代を築いたチームの4番として君臨し続けた。

 かつて"史上最高のスイッチヒッター"と称され、長らく阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の主力として活躍した松永浩美氏は、グラウンド上で清原氏とよく話をしていたという。

 そんな松永氏が、デッドボールで怒りを露にした清原氏をたしなめた場面や、日本シリーズに出る清原氏にグラブを貸したエピソードなどを語った。

1989年、ロッテの平沼定晴(手前)から死球を受け、ヒップアタックを見舞う清原1989年、ロッテの平沼定晴(手前)から死球を受け、ヒップアタックを見舞う清原この記事に関連する写真を見る

【清原は「他人に甘えることを知らなかった」】

――松永さんが清原さんと話すようになったきっかけを教えてください。

松永浩美(以下:松永) 私は現役時代、自分のチームはもちろん、対戦するチームの1軍の選手全員に声をかけていたんです(笑)。先輩から声をかけたほうが、それ以降も話しやすいと思っていたので、後輩の選手に対しては積極的に声をかけるようにしていました。

 ヒットなどで塁に出た時に話しかけることが多かったのですが、キヨの時も一塁上で「おはよう」と話しかけたのが最初だったかと。彼がプロ1年目の時だったと思います。

――清原さんはPL高校時代に甲子園で活躍し、鳴り物入りでプロの世界へ入りました。松永さんも注目していたと思いますが、どう見ていましたか?

松永 基本的に1軍レベルの選手の実力は認めざるを得ないですが、キヨも1年目から活躍していてすごいと思っていました。キヨのほうから挨拶をしてきたり、話しかけてきたりした時に感じたのは、「真面目で素直な子だな」ということです。

――清原さんは松永さんより7歳下ですが、清原さんから話しかけてくることもあったんですね。

松永 7つ離れていると、なかなか年下からは話しかけづらいものですよね。特にキヨの場合は、ある程度年が近い人間とはコミュニケーションが取れても、かなり年上となると話をするのが苦手な感じがしました。それでも私には気軽に声をかけてきたので、話しかけやすかったのかもしれません。

 私のほうでも話しかけやすい雰囲気を作って、意見を言わせるようにしないといけないとは思っていました。キヨの場合は他人に頼るというか、甘えることを知らなかったんです。私にも似ている部分がありますが、周囲から見ると"親分肌"に見えるじゃないですか。そういう人は、人に頼りきることがなかなかできないものなんです。

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著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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