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部員9人から出発した野球部の「弱者の戦法」。
宮崎から大学日本一へ挑む (3ページ目)

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Kyodo News

 三輪監督は「やはり、南部から1代表になったのは大きいですよ」と振り返るが、躍進の理由をこう続けた。

「杉尾たちの世代が入ってきたことですね」

 特待制度は創部以来、採用していない。だが、もともと大学自体が地元での就職に強いこともあり、「産経大で野球をやりたい」と言う選手が増えてきた。杉尾と大幡のバッテリーもそうで、大幡は系列の鵬翔高出身である。だからこそ、産経大の練習環境を知っている大幡は、最初は他県の大学を目指していた。

「ただ杉尾が『宮崎で一緒に野球をやってくれないか?』と。小・中・高校とずっとライバルでしたし、杉尾がいれば全国大会も夢じゃないと思って......。それで産経大に進みました」

 グラウンドは相変わらず高校との共用で、授業があるために練習開始時に全員が揃わないこともある。だが、33人が入部した大幡たちの学年は、早朝7時半集合の自主練習に取り組むことで、環境のハンデを補っていった。

 杉尾というプロ注目の好投手の存在、そして昨年の全国大会の経験も大きかったと大幡主将は言う。

「昨年の選手権で九産大(九州産業大学)に負けたこともあり、一人ひとりの意識がさらに高くなりました」

 かつて宮崎に取材に訪れた時、三輪監督はこんなふうに語っていた。

「環境も、人材も、強豪にはかないません。でも、弱いなら弱いなりの戦い方があります。たとえばウチは、打順に関係なく全員がバントをするし、全力疾走を徹底する。そもそも、バッティング投手をしてくれる仲間のことを考えたら、凡打したからといってたらたらとは走れません。9人、ベンチ入りの25人......いや、部員全員で戦っているんです」

 監督自ら集めた9人の部員で始まった産経大野球は、いまや部員は103人になった。悲願の全国大会初制覇までの挑戦はつづく。

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