2019.06.18

部員9人から出発した野球部の「弱者の戦法」。
宮崎から大学日本一へ挑む

  • 楊順行●文 text by Yo Nobuyuki
  • photo by Kyodo News

 大幡正敏主将の目が潤んでいた。

「日本一を目標に掲げてきましたが、宮崎県民のみなさんの期待に応えられずに本当に悔しい……」

タイブレイクの末、東海大に敗れ、肩を落とす宮崎産業経営大ナイン 第68回全日本大学野球選手権大会。6月9日の開会式では、各チームの主将が抱負を披露した。27代表の大トリが宮崎産業経営大(以下、産経大)の大幡主将で、ひと言だけこう言った。

「日本一、獲ります。以上です」

 これまで最多優勝の法政大や今大会の覇者・明治大の東京六大学野球連盟が25回の優勝を飾り、駒沢大や東洋大など多くの逸材を輩出してきた東都大学野球連盟も24回の優勝を果たすなど、この主要2連盟が圧倒的に実績を残している大会である。

 対して産経大が所属する九州地区野球連盟の優勝は1回のみ(2003年/日本文理大)。しかも産経大は初出場の昨年こそ、ベスト8に進んだが、今回が出場2回目の新興勢力である。にもかかわらず、主将から飛び出した”日本一宣言”に、三輪正和監督も「もっと現実的なことを言え」と苦笑いするしかなかった。

 だが、環太平洋大との初戦。ドラフト候補の右腕・杉尾剛史が6安打9奪三振で2失点完投すると、三輪監督が「雲の上のチーム」と語っていた東海大との2回戦も、1対1のまま延長にもつれる大接戦。結局、最後は連投の杉尾が11回にサヨナラ安打を浴びたが、タイブレイクはどちらに転んでもおかしくない展開で、産経大の健闘が光った一戦だった。

 だからこそ、大幡主将は悔しさが募ったのだろう。三輪監督が言う。

「そこ(日本一)までのチームじゃない。ですが、思った以上に成長してくれました。勝たせてやれなかったのは、監督の力不足です」

 産経大野球部の創部は、開学した1987年にさかのぼり、三輪監督も同時に就任した。ちなみに三輪監督は、日向学院高校(宮崎)2年の1980年に甲子園の土を踏み、立教大学時代は長嶋一茂の2学年上で、”4番・長嶋”の次を打つ5番・センターとして活躍した。