バットをPCに持ち替えた
「由伸2世」は1億円プレーヤーを目指す (4ページ目)
徳島では鍋やフライパンを買って、食事は自炊した。料理は新しい能力になったと笑う。給料は月10万円。そこから税金などを引かれると、ほぼ収入はなし。なんとか貯金を切り崩し、食いつなげた。そして最後のドラフトを待った。
「指名の手応えはなかったですね。リーグでは上位にいたんですが、ずば抜けたものがないと評価されないので。それでも確率は低いかもしれないですけど、どこかあるだろうと、あきらめてはいませんでした」
2018年10月25日、ドラフト当日。無情にも谷田の名前が呼ばれることはなかった。退路は断っている。現役引退となった。11月7日に徳島を引き上げ、就職活動が始まった。これまで野球一筋の人生を送ってきた谷田にとって、まったく踏み入れたことのないグラウンドだった。
「なんとなくこういう業界に行きたいというのはありましたが、そこにトライするのはどういう手順があるのかという情報すら持っていませんでした」
知人から「うちの会社に来ないか」と20社ぐらいから話が届いた。広告代理店、メーカー、保険など。しかも一流企業がほとんどで、あらためて"慶応ブランド"のすごさを感じたという。しかし、自分で判断する術がない。片っ端から人に会って、話を聞くことにした。
そんななか、運命の日は突然やってきた。11月14日のことだった。その日は家族ぐるみで付き合いのある高校の野球部の先輩に、お疲れ様会を赤坂で開いてもらった。その席で「塾高(慶応義塾高校)の同期に福山というヤツがいて、仕事熱心だから話を聞いてもらったら」と勧められた。
その帰り道のことだ。話に出た福山敦士が前から歩いてくるではないか。劇的な出会いとはこういうことを言うのだろう。ふたりの先輩に笑顔がはじけた。
「谷田におまえの話をしていたんだよ。人生相談に乗ってもらえって」
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