2018.10.21

無名捕手→甲子園8強投手へ。
鶴田克樹は「育成からでも這い上がる」

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

「君が高校3年生の夏、甲子園は100回大会を迎える。それを一緒に目指さないか」

 こう声をかけたとき、ひとりの中学生の見せた笑顔が、下関国際(山口)を率いる坂原秀尚(さかはら・ひでなお)の目に焼き付いている。

 3季連続出場となった今夏の甲子園で悲願の初勝利を上げ、8強進出を果たした下関国際。接戦の末、準々決勝で日大三(西東京)に敗れたものの、2回戦で創志学園(岡山)の2年生エース・西純矢を攻略するなど、”快進撃”と呼ぶにふさわしい勝ち上がりを見せた。

 その中心にいたのが、エースの鶴田克樹(かつき)だった。甲子園では全4試合を投げ抜き、打っても4番として山口大会準決勝、決勝の2試合連続で本塁打を放った。

夏の甲子園でチーム初のベスト8の立役者となった鶴田克樹 甲子園で自己最速の147キロを計測したストレートだけでなく、打者の手元で鋭く変化するスライダー、ツーシームを操る完成度も持ち合わせ、来たるドラフトでの指名に期待がかかる。

 まさにチームの大黒柱と呼べるような活躍を見せた鶴田だが、中学時代は実績に乏しく、”無名”の存在だった。坂原が鶴田との出会いを回想する。

2015年の8月が終わりに差し掛かった頃、下関の硬式チームの練習を見に行ったんです。そのときに見かけたのが最初の出会いですね」

 当時、中学野球を引退して間もなかった鶴田は、住まいのある福岡県北九州市から程近い下関市で活動する硬式クラブチームの練習生として参加していた。しかし、坂原が注目していたのは鶴田ではなかったという。

「鶴田と同じ中学で、一緒に練習に参加していた左投手を見ようと思って訪問したんです。でも、その子はすでに福岡の学校への進学が決まっていた。『残念だな』と思っていると、決してセンスがあるとは言えない、ドスドスとガニ股で走っている捕手がいて。それが鶴田でした」

 当時から170センチ後半の身長はあったものの、二塁送球ではヒジが下がり、サイドスローのような形でスローイングをしていた。加えて股関節は固く、「大げさに言えば”中腰”に近い格好でキャッチャーボックスに座っていましたね」と坂原が振り返る。