無名捕手→甲子園8強投手へ。鶴田克樹は「育成からでも這い上がる」 (4ページ目)

  • 井上幸太●文 text by Inoue Kota
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 そこからはより一層練習に打ち込む日々が始まる。坂原と話し合い、「大会直前にピークを迎えるのではなく、終盤、もっと言えば甲子園の決勝で最高のコンディションになるような調整をしよう」と方針を定め、4月からは早朝4時30分に寮を出発し、故障の影響で冬場に走り込めなかった主将の濱松晴天(そら)とともに、チーム全体での朝練前に走り込みを行なうことが日課となった。

「走り終えたときに、自然と涙が出たこともある」と鶴田が語るように、6月の第2週まで続いた夏前の追い込みは過酷を極めたが、強く芽生えたエースの自覚が妥協を許さなかった。

 技術面では、センバツ後にツーシームを習得。夏の大会の過密な日程を考慮し、少ない球数で打者を打ち取る狙いがあった。この新球習得に関しても、「鶴田が元来持つ性格が生きた」と坂原は語る。

「例年、投手陣にツーシームを教えていますが、派手な変化をしない分、『本当に有効なのかな』と懐疑的な投手も多いんです。鶴田には『とりあえず取り組んでから考えてみよう』といった素直さ、柔軟性がありました。ツーシームを覚えるのも、その重要性に気づくのも早かった。また、球速が上がるにつれて、打者よりも球速を意識してしまう投手も少なくありませんが、彼は『投手の仕事はアウトを奪うこと』という意識が最後までブレなかった。センバツで145キロを出した後も、そこは全く変わらなかったですね」

 連投を見据えた体力の底上げと新球の習得。最後の夏を迎える準備は整いつつあったが、坂原のなかにひとつの不安があった。

「酷暑ともいえる今年の夏を戦うなかで、『4番・投手』はキツイんじゃないか、と思ったんです。加えて、3年前の夏に県大会決勝で敗れたときにも、エースに4番を打たせていた経験も頭をよぎりました」

 負担を減らすために、8番への打順変更を検討した。実際に「8番・投手」で起用した練習試合で見事な投球を見せたことも、より坂原を悩ませた。鶴田本人に「夏は打順を下げようと考えているが、どう思うか」と尋ねると、強い口調でこう返答したという。

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