10球団のスカウトが集結。
金沢星稜大・泉圭輔は実績ナシでも逸材だ (2ページ目)
なかには「プロの練習についていける体力があるかどうか。1週間に一度の登板も"休み肩"なので、スピードが出ているだけでは......」と懐疑的な見方をするスカウトもいたが、軒並み伸びしろの大きさを高く評価し、「大化けしそうだ」という声が複数聞かれた。
泉は小学生の時に、地元の三馬(みんま)クラブで野球を始め、清泉中学では軟式野球部に所属。高校は、兄が通っていたことや、谷内亮太(やち・りょうた/ヤクルト)が中心となって2008年春の石川大会で優勝したことに憧れを持っていた公立校の金沢西に進学。そこで谷内も育成した井村茂雄監督(現・金沢桜丘高校監督)の指導を受けた。
とくに体の使い方と野球に取り組む姿勢については、何度も繰り返し教え込まれた。そのなかで井村監督が「自分が教えたことをよく理解していましたし、体で表現できるのか早かったです」と言うように、泉は非凡な才能を見せていた。
そして高校3年時には主将を任され、「人間的に大きくなり、視野が広がりました」と精神的にも成長。最後の夏は2回戦で私学の強豪・遊学館に敗れたが、大接戦を繰り広げた。
当初、大学で硬式野球を続けるつもりはなかったが、この夏前に泉に目をつけたNPB球団のスカウトが視察に訪れるようになり、大学でも続けることにした。県外の大学から特待生での誘いがあったが、「いくら特待生でも県外はお金がかかるので......」と、地元の金沢星稜大に進んだ。
この時期まで非凡な一面を見せる一方で、野球に対してそこまで強い情熱はなかった。今も話しぶりはいたって丁寧で、素朴で温厚な好青年だ。大学3年時までしていた「すき家」のアルバイトも板についていたことは容易に想像できる。
だが、金沢星稜大の北川良監督が「おとなしそうだけど、芯が強いんですよね」と評するように、意志の強さは随所に感じられる。
1年秋から先発として公式戦のマウンドに上がり、3季連続して3勝を挙げた。リーグ上位校にはなかなか勝ち星を挙げられずにいたが、3年秋には5勝をマーク。この活躍ぶりに関西の強豪社会人チームから声がかかる。だが条件は「プロ志望届を提出しないこと」だった。
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