881球の熱投。金足農・
吉田輝星を襲う「甲子園ハイ」の怖さ (2ページ目)
その夏、佐藤は680球を投げた。吉田の881球ほどではないにしても、準々決勝以降の3試合をすべて完投したのだから、まさに"鉄腕"の称号にふさわしい投手だった。
「僕の場合は、すべて全力投球でした。よく、相手バッターによってはセーブして......とか言うじゃないですか。でも、甲子園のマウンドでそんなことできないですよ。ただ、こっちがびっくりするほど、パワーが出てくるんです。もっと投げたい、まだまだ投げられる。楽しくてしょうがなかったですね」
ランナーズハイという言葉がある。マラソンやジョギングを行なうと、次第に苦しさが増してくるものだが、それを我慢して走り続けていると、ある地点からそれが消え、逆に気持ちよくなってくる状況がそれだ。
甲子園での佐藤世那の状況は、まさにランナーズハイならぬ"甲子園ハイ"だったのかもしれない。当然、吉田もあの過酷な状況のなかで、あれだけのピッチングをしたのだ。気持ちの部分で乗り切れても、体は知らず知らずのうちに悲鳴を上げていたに違いない。
故郷に帰り、家族、友だちの顔を見た途端、これまでの緊張感が一気に解け、急に疲れが襲ってくるという話をこれまで何度となく耳にしてきた。
甲子園から帰った翌日、高熱を出し、そのまま1週間入院したという選手がいた。甲子園のマウンドで躍動していた投手が、負けた翌日、朝食の時に箸が持てなくなったこともあった。
いずれにしても、大会期間中と終わった後の"落差"は、傍で見る者の想像をはるかに超えているのだろう。
吉田も、甲子園のマウンドでの消耗は計り知れないものがあったに違いない。その一方で、かけがえのない貴重な"経験"もしたはずだ。それを財産とし、投手としてさらなる技量を伸ばしてほしいと切に願う。そのためにも、まずは休息だ。
甲子園が終わり、まもなくしてU-18アジア選手権が開催される。その高校日本代表メンバーに吉田も選ばれた。豪華なメンバーをバックに、マウンドに立つ喜びは想像に難くない。しかし、くれぐれも無理だけはしないでほしい。休むことも、成長である。
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