2018.08.08

沖学園の新米監督が生んだ「奇跡」。
その陰にあった主将交代と56年会

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 その高校は一部メディアから「悲願校」と呼ばれていた。

 甲子園大会に出られそうで出られない。夏の福岡大会決勝戦に進出すること3度。秋の九州大会ベスト8に食い込み、春のセンバツ出場当確ラインまであと1勝に迫ったこともあった。だが、彼らはことごとく重要な決戦に敗れ、あと一歩で甲子園切符を逃してきた。

 悲願校の名前は沖学園という。福岡県内では強豪として知られており、OBには篠原貴行(元ソフトバンクほか)や久保裕也(楽天)らがいる。

 そんな沖学園が今夏、100回大会にして初めて甲子園出場を決めた。記念大会のため史上初めて福岡に2枠が与えられるという追い風もあった。だが、ノーシードから西日本短大付、東福岡、福岡大大濠といった優勝候補を立て続けに破っての悲願成就である。さらに鬼塚佳幸監督は、2017年夏の大会後に就任したばかりの新米監督だった。

沖学園を悲願の甲子園へと導いた鬼塚監督 創部61年の歴史を誇りながらも苦しみ続けてきた悲願校に、鬼塚監督という救世主が現れた――。そんなストーリーをイメージする読者がいても不思議ではない。それほど沖学園の甲子園への扉は重かった。だが、「救世主」は苦渋に満ちた表情でこう言うのだった。

「勝てば正解にされてしまうのかもしれません。でも、僕にとっては何が本当によかったのか。正直に言えば、わからないんです」

 鬼塚監督のことを初めて知ったのは、2012年の”アマチュア野球界昭和56年会”だった。

 アマチュア野球界昭和56年会とは、昭和561981)年度生まれのアマチュア野球指導者の交流を目的として2006年に結成された会で、国際武道大の大西基也コーチが会長を務めている。毎年年末に約40人の高校、大学の指導者や社会人野球関係者が一堂に会し、地域の枠を越えて交流するのだ。世界少年野球推進財団に加盟し、野球の世界的な普及にも力を注いでいる。

 会員は北海道から沖縄まで現在140名を超えるが、会合は大阪で開かれるため、出席者の多くは関西の指導者である。そんななか、鬼塚監督は九州から毎年必ず参加している。当時は神村学園(鹿児島)のコーチだった。