27年前のパ・リーグ首位打者が、大学2部に沈む母校復活を託された
すでに試合が終わったというのに、一塁側ベンチ前の円陣はしばらく解けることがなかった。
円陣の奥から低音の声が聞こえてくる。具体的な内容は聞き取れないが、その言葉に怒気がはらんでいることは十分に伝わってきた。
ようやくベンチ前の輪が解けると、背番号30がベンチから出てきた。
「こんなに怒ったのは、監督になってから初めてですよ」
監督の名前は平井光親(みつちか)。1990年代にプロ野球のロッテで活躍した好打者だ。2017年から愛知工業大の監督を務めている。
昨年から母校・愛知工業大の指揮を執る平井光親監督(写真左) この日、愛知工業大のグラウンドで愛知大学野球2部リーグの公式戦が組まれていた。愛知工業大は名古屋産業大に1対5と完敗。これでリーグ戦成績は1勝3敗となり、愛知工業大は早くも2部優勝戦線から脱落しつつあった。
1985年、86年には2年連続で明治神宮大会決勝戦に進出し、86年には日本一に輝いた愛知工業大だが、近年は2部リーグに低迷している。復活への切り札として呼ばれたのが、OBの平井監督だった。
この日、平井監督のことを連盟関係者や他大学の監督に聞いてみると、みなこう口を揃えた。
「なにしろ、プロで首位打者を獲ったほどの人ですからね」
平井監督にとって、「首位打者」はなくては語れない枕詞(まくらことば)のようなものだ。
そして、時にはこんな情報も補足される。"送りバントで首位打者を確定させた男"と。
88年にドラフト6位でロッテ入りした平井光親は、入団3年目の91年シーズン途中からレギュラーに定着する。シュアな打撃で結果を残し、当時の金田正一監督に抜擢されたのだ。
「5月くらいからレギュラーになりましたけど、最初はマスコミも誰からも注目されていなかったんですけどね......」
だが、シーズンも終盤にさしかかると、平井の周辺がにわかに騒がしくなる。規定打席に到達し、リーディングヒッター争いの先頭集団に平井の名前が現れたのだ。
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