27年前のパ・リーグ首位打者が、大学2部に沈む母校復活を託された (4ページ目)
「現役だった34~35歳の頃から、『いつかは大学で監督をやりたい』という思いがあったんです。プロの監督なんて僕の実績では無理じゃないですか(笑)。それに、自分の大学時代がすごく楽しかったんですよ。チームも強かったしね。今の選手たちにもその思いを味わってほしいんです」
取材翌日、愛知工業大は前日の2倍、10安打を放って5対2と名古屋産業大に雪辱した。
元プロ監督、ましてやタイトル経験者ともなれば、いやが上にも期待のハードルは高くなってしまう。だが、平井監督の監督生活はまだ始まったばかりだ。
送りバントで首位打者を確定させるという数奇な体験をした男の野球人生は、母校を頂点へと導くという第二の挑戦へと続いていく。
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