野球以外の話はしない。センバツ初出場の公立校に現れた2人のエース

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yutaphoto by Kyodo News
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乙訓高校、甲子園初出場物語(後編)

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 春のセンバツに初出場を果たした乙訓(おとくに)高校(京都)には、ふたりのピッチャーがいる。

 秋の背番号1は、川畑大地。低めへのコントロールが抜群で、ピンチにも動じることのない、安定感のある右ピッチャーだ。

 そして去年の夏、東山に初戦敗退を喫した京都大会で背番号1を背負っていたのは左の富山太樹だった。スピードは140キロに満たないもののスリークォーターからキレのいいストレートとスライダーを繰り出し、昨秋にはイニング以上の三振を奪った。

大会6日目の第2試合でおかやま山陽と対戦する乙訓高校ナイン大会6日目の第2試合でおかやま山陽と対戦する乙訓高校ナイン しかしながら富山は秋には川畑にエースナンバーを奪われており、その後は背番号10を背負っている。公立で甲子園に初めて出場する高校に、このレベルの2枚看板が揃うというのはそうそうあることではない。乙訓の市川靖久監督はこんな話をしていた。

「富山は中学校のときから体もありましたし、いいピッチャーでした。一方の川畑は中学のときは華奢(きゃしゃ)でしたが、指にかかるスピンの利いた球を放ってましたので、体ができてきたらよくなるかもしれない、というタイプのピッチャーでしたね。そういう意味では、川畑が思った以上に伸びてくれました。2年の夏は2人とも悔しい思いをしたと思いますけど、そういう経験も含めて、この秋は絶対に京都で勝って、甲子園に行くぞということは彼らに話していました」

 富山は、京都市街から北へ車で1時間ほどの、桂川の源流に位置する旧京北町(現京都市)の生まれだ。北山杉の森が美しい昔ながらの田舎町で、富山は中学まで、楽しいだけの野球をやってきた。冨山が言う。

「野球を始めたのは小学校の3年生でした。そのときは同じ学年の友だちが5人いて、誰がうまいとかもあんまりなく、自然とポジションも決まって、楽しく野球をやってましたね。中学でも1年の秋には部員が7人まで減ってしまって、試合もできない時期があったんですけど、そういう野球部だったので競い合う感じはまったくありませんでした。

 それでも中3のとき、市内の大会で準優勝することができて、高校は上のレベルでやってみたいなと思いました。そんなとき、乙訓が夏の京都大会でベスト4に入ったんです。で、体験に行ってみたら、施設もよくて、市川先生(監督)、染田先生(賢作/部長)も熱心に指導されていたので、ここで頑張ろうかなと思いました」

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