2018.03.27

【連載】荒木大輔がいた甲子園。
証言で明かす1980年の高校野球

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Okazawa Katsuro/AFLO

証言で明かす、荒木大輔がいた1980年の高校野球
プロローグ

1年生から早稲田実業のエースとして活躍した荒木大輔 松坂大輔が横浜(神奈川)のエースとして甲子園に乗り込み、センバツに続いて全国選手権も制した1998年の夏。その大会で聖地に足を踏み入れた55校の野球部員の中には、14人もの「大輔」がいた。

 1980年9月13日生まれの松坂の名前が、ひとりの甲子園球児からとられたことはよく知られている。身重だった松坂の母が荒木大輔の姿に惚れ、我が子に「大輔」と名付けたのだ。松坂がもし「大輔」という名前でなかったならば、1998年夏の甲子園のあの伝説もまた違ったものになっていたかもしれない。

 1980年夏、早稲田実業(東京)の背番号11をつけて甲子園のマウンドに立った16歳の荒木の人生は、初戦の北陽(大阪)戦での勝利によって大きく変わった。地方予選のチーム打率が出場校のなかで最高の.374と強打を誇った優勝候補を、わずか1安打で完封してみせたのだ。その試合の前後について、荒木本人はこう語っている。

「甲子園に出場しても、特に騒がれることはありませんでした。予選の東東京大会で投げましたが、『甲子園には先輩たちに連れてきてもらった』と感じていました。でも、北陽戦のたった2時間で、早実の周りだけが別の世界になってしまったのです」

 高校野球きっての名門・早稲田実業の1年生投手が素晴らしいピッチングを見せたことで、報道陣は色めき立った。名だたる強豪校の上級生たちに果敢に挑む姿も見事だったが、クールなマウンドさばき、端正なマスクと涼しげな表情が、テレビの前の女子高生をはじめ、多くの女性ファンを魅了したのだ。「汗まみれ」「泥だらけ」のイメージが強い高校球児のなかにあって、荒木は異彩を放っていた。

 北陽戦の後は宿舎の前に人だかりができ、選手たちは身動きが取れなくなった。北陽戦の観衆は4万4000人だったが、その5日後に行なわれた東宇治(京都)との2回戦には5万8000人が押し寄せ、甲子園がふくれ上がった。