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町の野球少年がドラフト上位候補へ。
名将と歩んだ本田仁海の3年間

  • 高橋博之●文 text by Takahashi Hiroyuki
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 本田仁海(ほんだ・ひとみ)の最後の夏は予想外の、しかし野球にありがちな結果で終わった。

 今年の星槎国際湘南はエース本田のチームだった。夏は創部初の第1シードで2回戦から登場。圧倒的な存在感の本田を中心に、星槎国際湘南は3試合を1失点で5回戦へ進んだ。5回戦の相手は日大高。

140キロ台後半のストレートが武器の本格派、星槎国際湘南の本田仁海140キロ台後半のストレートが武器の本格派、星槎国際湘南の本田仁海 ここでも本田はゲームを支配し、星槎国際湘南は1-0とリードしていたが、6回表に本田が連打を浴びて2点を失う。その裏、すかさず星槎国際湘南は3点を奪い返す。しかしその攻撃中に本田は右手甲にデッドボールを受けてしまった。腫れ上がった手のまま本田は7回もマウンドに登るが、握力が抜けてスピードもコントロールも落ちていた。その甘い球を見逃さずに日大高は強打を重ねた。結局、本田はこの回に3失点して降板。大黒柱がマウンドから降りたチームは、その後の日大高の攻撃をしのげず、4-9で敗れた。

「この悔しさは次のステージで晴らせばいいよ」

 試合後、星槎国際湘南の土屋恵三郎監督は本田をねぎらった。これまで20人以上のプロ野球選手を育ててきた土屋監督の表情は、桐蔭学園時代と比べると穏やかだったかもしれない。それは年月を経たからというより、星槎国際湘南で選手たちを基礎の基礎から一緒になって練習して育ててきたからだろう。エリート選手を指導した桐蔭学園時代とはまた異なる感情だ。

 今でこそドラフト候補として注目を浴びる本田だが、もともと優れた選手だったわけではなく、どこの町にもいる普通の野球好きな少年だった。

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