引退する西郷泰之の25年「プロに行けなかったからこそ今がある」

  • 中里浩章●文 text by Nakasato Hiroaki
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro

西郷泰之インタビュー(後編)

 数々の記録を打ち立て、社会人野球界の伝説となったHondaの西郷泰之。そんな"ミスター社会人"が引退を迎えた今、現役生活を経て感じたさまざまな想いを語ってくれた。
(前編はこちら)

昨年、25年間におよぶ現役生活に終止符を打った西郷泰之昨年、25年間におよぶ現役生活に終止符を打った西郷泰之

―― 社会人野球を25年間も続けてこられたわけですが、若手時代は何度もドラフト候補に挙げられました。今になって、プロの世界へ行ってみたかったという想いはありますか。

「まったくないですね。プロへ行けなかったからこそ今があると思うし、こうして43歳まで野球ができた。だから、これで良かったのかなと思います。もちろん、若い頃はプロの世界を見てみたいという想いがありました。でも、プロから声が掛からずに何となく野球をしてしまっていた1999年夏、不注意で打撃マシンのボールを頭に受けて入院した。そこでやっぱり野球が好きだという想いを確認してからは、社会人で頑張っていこうと決めました」

―― そもそも、社会人になった頃の目標は何だったのですか。

「まずは自分のポジションを獲ることです。僕は投手として入社してすぐに野手転向で一塁へ回ったのですが、当時の正一塁手がチームの4番打者で年齢も2つ上と近かった。そのまま行ったら試合に出られないまま終わってしまうので、まずは追いつかなきゃいけないなと。そう考えると、僕らの時代は恵まれていましたね。企業チームもたくさんあったし、みんなギラギラしているから、年齢の近い選手などを見ると『絶対に負けない』という気持ちになれた。今のように仲良くしゃべることなんて考えられなくて、年を重ねてようやくお互いが解り合えるような関係性だったんですよね。そうやって必死に練習していたら何とか試合に出られるようになり、それと同時に日本代表にも呼ばれるようになりました」

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