宮司愛海アナがスポーツと向き合い続けた4年間。スポーツが教えてくれた「人と、自分と、まっすぐ向き合うこと」 (3ページ目)

  • スエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi

スポーツキャスターとして「やりきった」東京五輪


 そして、最大の目標としていた東京オリンピックを迎えました。

 一番印象に残っているのは、柔道の大野将平選手の金メダルです。彼は柔道家として強くなるため、淡々と練習を積み重ねてきました。ただ自分のやるべきことをやる、という強い精神力で畳にあがり続けている人です。

 これまで、弱音を吐いている姿はあまり見たことがなかったのですが、優勝後に「つらかった」と涙を流している大野選手を見て、この舞台にあがるまでにどれほどの想いを内に秘めて戦ってきたのだろうと、胸が痛くなりました。

 当時は、コロナ禍で「なぜオリンピックが開催されるんだ」という声も多くあり、よく理解していましたが、その裏側にはそこだけを目指して4〜5年、競技に打ち込んできた人がいて。大野選手も、アスリートという立場では、「畳の上でしか想いを表現できない」と、本音は胸にしまい、結果を出すことだけにすべてを注いできたと思うのです。だからこそ、優勝の瞬間、胸の中にあった気持ちが涙と一緒にあふれたのではないでしょうか。

 「大野選手のような強い選手でも、それだけしんどかったんだ」と感じたのを昨日のように覚えています。

 これは余談ですが、スポルティーバでも東京オリンピックの振り返り記事(第26回)を書かせていただきましたが、今回を含め全32回のなかで、特に思い出深く、かつ一番苦労したのがこの回でした。

 というのも、自分自身、東京オリンピックをスポーツキャスターのひとつのゴールと決めて走ってきたのですが、3年半かけてきたこともあり、同大会に対する想いが強くなりすぎてしまって。記事を書かなきゃいけないのに、なぜか全然振り返ることができなかったんです。頭の整理ができなくて、「一体、私は何を振り返ればいいんだろう」と混乱してしまって。

 それで執筆にだいぶ時間がかかってしまったのですが、オリンピック前には言えなかった、自分のなかのモヤモヤをやっと記事の最後にしたためることができました。自分の人生30年間をフルに注ぎ込んで、大会期間中の取材でも、記事執筆においてもパワーを使い果たした、本当にやりきった東京オリンピックでした。

 大会終了後、個人的には「これだけ強い想いを持って、自分の人生をかけてできることはもうないかな」と思っていたのですが、いまはこの経験を違うところに還元できたらいいなと思っています。

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