宮司愛海アナがスポーツと向き合い続けた4年間。スポーツが教えてくれた「人と、自分と、まっすぐ向き合うこと」

  • スエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi

宮司愛海連載:『Manami Memo』第32回(最終回)

フジテレビの人気スポーツ・ニュース番組『S-PARK』とweb Sportivaのコラボ企画として始まった、宮司愛海アナの連載『Manami Memo』。2019年9月13日に第1回が始まり、約2年半に渡ってお届けしてきた物語も、とうとう今回で最終回。スポーツキャスターとして、東京(夏季)と北京(冬季)というふたつのオリンピック・パラリンピックを経験し、駆け抜けたこの4年間。数々の取材経験を経て、いま宮司アナは何を思うのか。これまでの軌跡をたどりながら、スポーツキャスターとして、またひとりの伝え手としての想いを語ります。

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 『S-PARK』を卒業することが決まり、最後の筆をとる前、今までの回を読みながら、自分のスポーツキャスターとしての道のりを思い返していました。

 「この時の自分はこういう状況だったな」と当時の想いがよみがえると同時に、こうして私の取材記録を形として残す機会をいただけたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。約2年半の間、この連載を読んでいただいたスポルティーバ読者の皆さんも、本当にありがとうございます。

 最終回となる今回は、スポーツキャスターに就任してからの4年間を振り返りながら、スポーツの取材を通じて感じたことを、お話ししたいと思います。

焦りと歯がゆさを感じる日々


 スポーツを担当する前は、2015年にフジテレビに入社して以来ずっと『めざましテレビ』中心の生活だったので、アスリートに取材をする機会はほとんどありませんでした。

 そのなかできっかけとなったのは、Bリーグ初年度となる2016‐17シーズンの最終戦。アナウンス室の先輩に"バスケ好き"を公言していたことから、その中継MCを任せられたんです。それが決まってから自分なりにバスケに関する取材をするようになり、2018年4月から始まる『S-PARK』のメインキャスター起用という大きなチャンスをいただく流れとなりました。

 はじめにスポーツを本格的に担当すると聞いた時は、うれしい気持ちが大きかったです。もともと何かをコツコツと積み重ねて、自分なりの教科書を作っていく作業はすごく好きでした。バスケの現場でも、何も知らないところから新しい知識や経験が蓄積されていく、その感覚が楽しいなと思っていたところだったので。

 ただその一方、2018年はじめに平昌オリンピックでの現地取材を経験したことから、2年後に控える東京オリンピックの存在が私のなかでますます大きくなり、1日でも早くスポーツキャスターの名に恥じぬような働きをできるようにしなければと、焦りも感じていました。

 そしてすぐに、スポーツ界の洗礼を浴びることになります。当時のバレーボール女子日本代表監督・中田久美さんへのインタビュー。周りには知識豊富な実況アナウンサーの先輩たちがいるなか、私は事前準備も、バレーに対する知識も追いついていない状況でした。

 担当ディレクターが作ってくれた質問案をもとにインタビューを行なうのですが、それを本番でどう料理するかは自分次第。本来ならそのとおりにお話を聞くだけではなく、取材対象者や競技のことを理解したうえで、言葉に自分の想いを乗せながら質問する技量が求められます。

 しかし私は、ただその質問案に沿ってお話を聞くことしかできず、その場がピリッと張りつめた空気に変わっていくのを感じて、取材後は「はぁ......」と落ち込んでしまいました。

 どんなに勉強しても数十年取材している先輩たちには敵わないし、熱のあるインタビューにしたい気持ちはありながらも、なかなかうまくはいかない。そんな歯がゆさと、そうしているうちに開幕が迫ってくる東京オリンピックへの焦りを、スポーツキャスター就任後の1年間はひしひしと感じていました。

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