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宮司愛海アナが会いたかったスノーボード・竹内智香選手6回目の五輪へ。迷いたどり着いた「答え」 (2ページ目)

  • 佐野隆●写真 photo by Sano Takashi

【引退と現役続行 悩んで選んだ「迷い続ける」こと】

 そんな、明るくて誰とでもすぐに打ち解けてしまう竹内選手。インタビューでは6回目のオリンピックへの決意をまっすぐな言葉で語ってくださいました。

 ここに至るまでの道のりは、決して簡単なものではなかったのです。

「34歳で平昌オリンピックを迎えたので、年齢的にも、5回目のオリンピックというのも、自分のなかで(平昌が)最後になるって思っていて。北京オリンピックって本当に、非現実的というか、『ない』ものだと思っていたので」

 これが最後──そんな思いで迎えた平昌オリンピックの結果は5位入賞。ソチ後には左ひざの前十字靭帯断裂という大ケガもあり、なかなか思うような結果が出ず「仕事というか、義務感でやっているような感じで、楽しさはなかった」という4年間、平昌を終え脳内に浮かんだのは「引退」の二文字。しかし......。

「もう私のなかでは引退のほうに傾いて、その気持ちが強かったんですけど、応援してくださる方が『次の北京オリンピックも!』って言ってくれるなかで、正直、引退って言える雰囲気ではなくて」

「今までは競技を続けたくても続けられない時がありましたし、今は続けられる環境があって目指せるチャンスがもう一回ある。それを安易に引退って決めるのは後悔するんじゃないかな、と。迷わせてもらえる時間があるのであれば、迷えるだけ迷ってみようかな、って思いました」

 応援してくれる人たちの想い、そして改めて向き合った自分の人生のターニングポイント。竹内選手が選んだのは引退でも現役続行でもなく、「迷い続けること」だったのです。

 平昌オリンピック後、地元の旭川に帰り、オリンピアンとしての経験を地域の方々に還元するため運動教室を開いたり、「&tomoka」という次世代選手育成プログラムを立ち上げたり、それまでやったことのなかったヨガやスキューバダイビングなどに挑戦したり......。スノーボードから離れた日々を送るなか、頭をよぎる「楽しくて、このままフェードアウトして引退でもいいのかな......」という思い。

 しかし、そうして"積極的に"迷いながら2年半を過ごし、グルッと1周して戻ってきた雪の上で竹内選手が感じたことは──「雪上が仕事って、雪上って、すごくよい職場なんだな」。

 スノーボーダー・竹内智香の第2の人生が始まりました。

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