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いよいよNBA開幕!八村塁が胸に秘める日本バスケ界への熱い想い (2ページ目)

  • photo by Yamamoto Raita

 この日、八村選手のスーツの胸には日本の国旗。ジャケットの裏地は、お母さまの出身、日本の富士山と、お父様の出身ベナンを思わせるアフリカの模様が入った柄が入っていました。ちなみに入団会見の時はウィザーズのチームカラーのネクタイで、裏地にはまたもや日本の国旗とアフリカのモチーフ。自分のルーツを大切に思う八村選手の気持ちが見て取れ、ひとりの日本人としてとてもうれしくなりました。

ドラフトで着ていたジャケットの裏地を見せる八村塁photo by Getty Imagesドラフトで着ていたジャケットの裏地を見せる八村塁photo by Getty Images そんな細部にこだわりを感じる着こなしを見せた八村選手に「背番号、何番になりそうですか?」と聞くと、「皆さんの想像どおりでは」と笑顔。予想どおり8番でしたが、日本代表でも同じ8番で、これから、世界中のファンが「背番号8=八村塁」と覚えていくのだと思います。

 入団会見では流暢な英語で受け答えをして、笑いも取っていた八村選手ですが、日本にいたころから英語が話せたわけではありません。TBSには宮城県の明成高校に通っていた時の八村選手を取材した映像があります。体の大きな八村選手が、教室の一番後ろの席で窮屈そうに座っている英語の授業の映像です。当時、高校3年生の八村選手は「僕はほかの選手より3倍練習します」という日本語をうまく英訳できずにいました。そこから、高校卒業後にアメリカのゴンザガ大学に留学し、NCAAで出場を重ねながら語学力を伸ばしていったのです。

 大学生活はバスケットと学業の両立が必須で、一定以上の成績を収めないと試合に出場することができないというとても厳しい環境。想像もできないような努力や苦悩があったはずです。実際、『S☆1』の取材で八村選手は、「くじけそうになる時もあった...」と心情を吐露しています。それでも、「NBAの夢のために、日本のバスケ界のために」という思いを胸に抱き続け、道を切り開いていきます。そして、3年生の頃には名門ゴンザガ大のエースとしてプレーし、全米のポジション別の最優秀賞も獲得しました。

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