今井達也が社会貢献活動でファンと心の交流 西武ライオンズの伝統を継承 (2ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke

「寛大な心を持ち、選手としても信じられないような成績を残した。プエルトリコのみんなが彼のことを覚えている。実際にプレーしているのを見たことはないけれど、ビデオで見て、彼のようになりたいと思ったよ」

 プエルトリコ出身のネフタリ・ソト(ロッテ)はそう語った。選手として3000本安打を達成し、慈善活動にも熱心だったクレメンテはプエルトリコの野球選手たちにとって憧れの偉人だ。

 メジャーリーグで慈善活動を最も精力的に行なう選手に贈られる賞が「ロベルト・クレメンテ賞」と名づけられたのは、悲しい最期に関係がある。

 1972年12月23日に中央アメリカのニカラグアで死者1万人以上と言われる巨大地震が発生すると、クレメンテは翌日から救援活動を開始。12月31日、チャーター機に大量の救援物資を積み込んで飛び立つと、エンジンの故障で飛行機はカリブ海に墜落し、帰らぬ人になった。

「ロベルト・クレメンテはプエルトリコの歴史を象徴している。我々はそういう誇りを持ってプレーしているんだ。そうしたプライドを他の何かと比べることなんてできない」

 取材当時、プエルトリコのウインターリーグ球団ヒガンテス・デ・カロリーナで投手コーチを務めていたビクトル・ラモスはそう話した。同球団の本拠地に建立されているクレメンテの巨大な像には、多くの念が込められているのだ。

 社会貢献活動を通じ、プロ野球選手は自身の存在価値をファンに直接届けることができる。それこそ、大きな意義のひとつと言えるだろう。

【活動5年目で初対面】

 今井は2020年に冒頭の活動を始めたが、上記のように体感できるまでには時間を要した。世界を新型コロナウイルスの猛威が包み、選手とファンが交流できないシーズンが続いたからだ。

 そしてついに活動5年目の2024年8月3日、初めて直接の対面がかなったわけである。

「いつもファンの方たちから『頑張ってください!』と声をかけてもらうばかりなので、逆に選手から何かできることはないかとこれからも探していければと思います」

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