マラソン五ヶ谷宏司、未来の自分への言葉は「東京五輪へ死ぬ気で取り組め」 (5ページ目)

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

自分の中で『引退』の時期は大体決まっているという自分の中で『引退』の時期は大体決まっているという 東京マラソンで9分台を記録できたことで、2015年の6月から8月にかけてはマラソンで7分台、8分台のタイムを見据え、さらにその先に待つリオデジャネイロ五輪の代表選考レースを視野に入れて精力的にトレーニングを積みました。練習の質を上げ、量も増やした。モチベーションが高かったので、体もすごく軽快に動いたんですよね。

 スイスで1カ月の合宿をして、チームに戻って1週間ほど練習して、その直後にあったナショナルチームの合宿に参加というハードなスケジュールも、気持ちも昂ぶっていたので楽しみしかなかった。でも、ナショナルチームの合宿初日で大腿骨が悲鳴をあげました。40km走の16km付近で足が痛くて動けなくなって、帯同していたドクターが触診して疲労骨折と診断されました。

 ケガをしたことで、やっぱり気持ちが大事だと改めて気づかされましたね。練習を3日ほど休んで安静にしていたけれど、どうしても走りたくて練習に戻りたいと直訴したんです。最初は反対されたけれど、最終的には押し切る形でトレーニングに戻って、40km走の20kmだけを走ってみた。当たり前だけど、走り出したらあまりに痛くて「これは10kmでやめよう」と思い、でも次第に、痛みに慣れて距離は延び、最終的には40kmを走りきれた。この経験をしたことは大きかったですね。

 帰国後も騙し騙しトレーニングを続け、9月末にあったベルリンマラソンでは、序盤から何度も集団から離されながらも、粘り強く走れて集団に戻り、最終的には2時間10分58秒で9位。佐藤悠基選手や、酒井将規選手、森田知行選手を抑えて日本人1位になれた。コンディションは悪かったにもかかわらず、10分台でまとめられたのは、夏場に追い込んで練習した成果だし、力がついている手応えも得られました。

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