マラソン五ヶ谷宏司、未来の自分への言葉は「東京五輪へ死ぬ気で取り組め」 (4ページ目)

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

 実業団1年目、2010年の夏。これまでの競技人生を振り返って、この夏が僕に"大きな気づき"を与えてくれました。日本陸連の推薦を受けて海外で行なわれたマラソン合宿に参加したのですが、刺激的な日々でした。このときの合宿には今井正人さん、リオ五輪マラソン代表の石川末廣さんと佐々木悟さんなど、30歳以下の選手ばかり15人くらいが一堂に会していて、彼らが喋ることといえば、朝から晩までどうしたらマラソンが速くなるのか。そして、そのための生活を徹底している。それは衝撃的でした。

 それまでの僕は大学や社会人のチーム内や同世代との戦いに目が行き、マラソンではサブテン(2時間10分以内)をぼんやり目標にしていたけれど、トップ選手たちはまったく違った。国内トップレベルの彼らの意識の高さに触れたことで、僕自身も真摯に競技生活を考えるようになりました。あの夏がなければ、競技者としての僕はとっくに引退していたでしょうね。

 あの合宿で得たなかで最も大きかったことが、競技生活を逆算するようになったこと。それまでは積み上げていった先に引退というゴールがあるような感覚でしたが、競技生活の幕引きする日から逆算して競技に取り組むようになりました。当時23歳の僕でさえ、逆算してみると、自分自身の競技者としての残された時間は多くないと気づかされました。

 それから7年が経ちましたが、僕の競技人生は自分のなかで決めている"引退"という日に確実に近づいています。僕の競技者としての最大の目標は、2020年の東京オリンピック。多くの選手がそこを目標にしていますが、僕は23歳のあの夏から31歳で迎える選考レース、32歳で迎える2020年に照準を合わせて、逆算してこれまでの日々を送ってきました。

 ただ、計画通りに運ばないのが、競技人生だなと実感しています。2011年に初マラソンを経験してから、2013年の北海道マラソンでマラソン初優勝をし、2015年の東京マラソンでは2時間9分21秒で初めてサブテンを達成しました。ここまでは順風満帆に進んできましたが、以降は歯車が狂いましたね。

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