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「すぐつぶれる」→国技館でのダンスイベントで黒字化。Dリーグ創設者の神田勘太朗がダンスで描く究極の目標 (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • 石川高央●撮影 photo by Ishikawa Takao

【ダンスビジネスで世界一に】

 なぜ彼はさまざまな壁にぶち当たりながらも、不屈の精神でダンスのために邁進できたのだろうか。そのルーツは少年時代にあった。

「自分の母がダンサーだったこともあって、ダンスは常に身近な存在で、地元のダンスチームやダンス甲子園に出てくる人たちを見て、かっこいいなと感じていました。それで小学6年生の卒業式の時に、全校生徒の前で『世界一のダンサーになる』と宣言したんですよ。そうしたら、学年主任の先生に『ふざけたことを言うんじゃない』と怒られたんですね。それは結構衝撃的でした」

 自分の夢を完全否定されたが、ダンスを決してあきらめることはなかった。中学になりJリーグの開幕に合わせるようにサッカーもやり始め、いつしかプロサッカー選手になりたいという夢を持つようになっても、ダンスでも輝きたいし、役者にも興味を持っている自分がいた。

 将来は三足の草鞋を履きたいと夢見ながら、地元・長崎から大学進学のために上京。さまざまな知識を得るなかで、徐々に方向性が定まっていった。

「サッカーの強豪大学に進学できずに1年浪人したことによって、ブランクが空いてしまい、Jリーガーの夢が遠のいてしまったんです。それで役者かダンスでと考えて、芸能界の大きさや自分との接点、ダンス界の規模など、いろんなことを勉強してみて、ダンス業界には可能性がいっぱいあるなと感じました。

 ただダンサーには、本当にかっこよくてうまい人がたくさんいたので、ダンサーとして世界一になることは、相当ハードルが高いこともわかりました。でもダンスが好きな経営者やビジネスマインドを持った方はいないようだったので、それならダンスのビジネスで世界一になれるかもしれないと思いました」

 そして2004年に自身が代表となる会社「アノマリー」を設立し、翌年ダンスアライブをスタートさせた。同大会を少しずつ大きく成長させながらもプロダンスリーグの構想を練り、2020年には株式会社Dリーグを創設。開拓者として挑み続けることによって、ダンス業界をけん引する存在として確固たる地位を築くに至った。

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