「すぐつぶれる」→国技館でのダンスイベントで黒字化。Dリーグ創設者の神田勘太朗がダンスで描く究極の目標

  • text by Sportiva
  • 石川高央●撮影 photo by Ishikawa Takao

会社設立から20年目の節目を迎える神田勘太朗氏会社設立から20年目の節目を迎える神田勘太朗氏この記事に関連する写真を見る神田勘太朗 インタビュー後編

インタビュー前編はこちら>>

【「すぐつぶれる」から20年目に突入】

 Dリーグ創設者、神田勘太朗(カリスマカンタロー)氏のダンスビジネスの萌芽は、2004年、今も同時並行で経営をしている株式会社アノマリーの創業だ。

 翌2005年には、ストリートダンスバトルイベント「DANCE@LIVE(ダンスアライブ)」(現マイナビDANCEALIVE)の開催を実現。ダンサーが1対1の対面でDJのかける音楽に合わせ、即興で踊り合う大会で、年々規模が拡大している。今ではファイナルを両国国技館で開催する世界最大規模のダンスイベントとなり、ダンサーたちのあこがれの舞台になるとともに、この大会で活躍した数多くのダンサーたちが、Dリーグでも躍動している。ただここまで決して順調にきたわけではなく、その過程では生みの苦しみを痛いほど味わっている。

「やっぱり一番は資金繰りです。ダンスマーケットがまだ確立していないなかでお金を稼ぐことは、これほどまでに難しいことかと痛感させられました。みんなの頭の中にないものを想像させて、資金を調達し、具現化していくことは、もちろん楽しいことではあるんですが、本当に大変な作業です。

 国技館でダンスバトルをやるなんて誰も想像していませんでした。でもファイナルを国技館でやることを当たり前にしたことで、そこに立ちたいと思う人たちが出てきて、ダンススタジオに通って練習して、そうして今のステージができあがったと思っています。当初は『すぐつぶれる』と言われていましたが、今年で20年目ですから。必要とされている証拠だと思います」

 資金調達に関しては、10年目の国技館イベントで黒字化を達成したものの、まさに自転車操業で、ダンスアライブを開催しているバックヤードで、数億円もの借入金の返済に頭を抱えていたこともあったという。同氏は「正直本当にしんどい作業で、肉体的疲労よりも、精神的疲労のあることばかりやってきた」と淡々と振り返るが、その苦労は想像に難くない。

1 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る