オランダでコーチとなった藤田俊哉「俺はここでトップを目指す」

  • 中田徹●文・写真 text & photo by Nakata Toru

 天才肌のミッドフィルダーだった藤田俊哉にとって、指導者を測る物差しは、「自分を使ってくれるかどうか」だった――。自分を信用して使ってくれたら、俺はあなたのためにすべてを尽くしますよと、意気に感じてプレイした。逆に、いくら名将の誉れ高い人物でも起用してくれなければ、藤田にとっては 「良い監督」とは言えなかった。その具体名を教えて欲しいと乞うと、藤田はあっけらかんと、「山本昌邦さんかな。俺を使ってくれなかったから」と言った。

オランダのVVVフェンロで指導者としてスタートした藤田俊哉オランダのVVVフェンロで指導者としてスタートした藤田俊哉「俺は、監督から自分を使わないと言われた瞬間、『お前なんか認めない』というタイプだった。だから俺も、当時は山本さんを認めることはできなかった。でも、指導者になった今なら、山本さんの考えを素直に受け入れるよ。あのとき(2005年)、山本さんはチーム(ジュビロ磐田)を変えたかった。チームって過渡期があるじゃん。その中で選手を変えるとか、戦術を変えるとか、指導者は何かを変える......。でも、選手がそういうことを理解しすぎるのも、普通じゃないよね。だから、選手から見る指導者、指導者から見る選手って噛み合ない。ただ、現役を辞めてからその切り替えをして、今は指導者として選手を見る準備ができた」

 そして、続けた。

「山本さん、これ読んだら笑っちゃうだろうね」

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