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【箱根駅伝 名ランナー列伝】山下拓郎(亜細亜大)「雑草軍団」の初優勝の決め手となった「陸上をやめようと思った」男の大逆転劇 (3ページ目)

  • 酒井政人●取材・文 text by Masato Sakai

【特別な輝きを放った「堅実駅伝」】

 前回総合7位からの優勝は当時最大のジャンプアップVで、往路6位からの優勝も過去最大の逆転劇だった。亜大は岡田監督が主将を務めた1967年に箱根駅伝の初出場を果たし、岡田監督のもと、29回目の出場で悲願の初優勝となった。

「3位になって7位になって、次が優勝。『機が熟した』という感じでしたね。私自身もそうでしたけど、選手たちも、自分たちの走りをすれば上位に入れることを知ったんです。あの時(2004年)の3位が大きかったですね。いま以上の力をつけることができれば、さらに上の順位を狙える可能性があるわけですから」(岡田監督)

 選手たちは、「前半は焦らずに入って、15kmからペースアップする」という岡田監督の指示どおりに走破。有力大学に相次いでアクシデントが起こり、優勝ラインが下がったこともあり、独自の「堅実駅伝」が特別な輝きを放った。

 亜大は翌年、さらにパワーアップする。出雲は8位、全日本は7位と前年順位を上回ると、箱根駅伝エントリー選手上位10人の10000m平均タイムは5位(29分13秒42)まで引き上げた。正月決戦は優勝候補の一角に挙げられたが、エースが不発に終わる。

 チーム一の練習量を誇る山下は、最後の年は花の2区に起用された。しかし、区間16位と大苦戦。7位から16位まで順位を落としたのだ。それでもチームは総合10位に滑り込み、シード権を確保した。

 最後の年はインパクトを残すことはできなかったが、亜大の大躍進と山下の"大逆転劇"は箱根駅伝史に残る名シーンとなった。

●Profile
やました・たくろう/1984年10月21日生まれ、静岡県出身。常葉学園菊川高(静岡)―亜細亜大―富士通。箱根駅伝には1、2年時は10区を走り、3年時は9区を任され、逆転劇を演じる区間賞を獲得し、チーム史上初の総合優勝に大きく貢献した。4年時は2区で思うような走りはできなかったが、出場した4年間すべてでチームはシード権を獲得した。現在は小森コーポレーションのコーチを務めている。

【箱根駅伝成績】
2004年(1年)10区7位・1時間11分39秒
2005年(2年)10区6位・1時間10分30秒
2006年(3年)9区1位・1時間09分30秒
2007年(4年)2区16位・1時間10分36秒

著者プロフィール

  • 酒井政人

    酒井政人 (さかい・まさと)

    1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にかけた魔法』など。

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