【箱根駅伝 名ランナー列伝】篠藤淳(中央学院大) 3000m障害日本選手権優勝と恩師の言葉を信じて成し遂げた9区区間新記録&総合3位 (2ページ目)
【3年時には3000m障害で日本選手権優勝】
中央学大に進学した篠藤は1年時からチームの主力として活躍。関東インカレ(2部)の3000m障害で3位に入ると、「怖いもの知らずというか、プレッシャーもなく、楽しむことができました」と箱根駅伝の3区を区間5位と快走した。
2年時は日本インカレの3000m障害で優勝。10000mでも当時・学生トップクラスの目安である28分台に突入した。しかし、「自信を持って臨んだ」という箱根駅伝は10区で区間16位に沈んだ。
「大失敗でした。悔しくて情けない思いをしたんです」と篠藤。この悔しさがアスリートとして大きく成長させることになる。
3年時は副キャプテンとしてチームを盛り立てた。またシューズの履き方を見直した結果、地元・兵庫で行なわれた日本選手権で大金星を挙げる。3000m障害で日本記録を保持していた岩水嘉孝(トヨタ自動車)に競り勝ち、8分33秒44(当時・日本歴代9位)で日本一に輝いたのだ。本人も「ビックリしました」と言うほどのサプライズVだった。
篠藤は12月にドーハで開催されたアジア大会の代表候補に挙げられたが、「どちらをとっても後悔はしたと思います。国際大会は実業団に進んでも狙えますが、箱根駅伝は学生のうちにしか出られません」と正月のレースに集中した。だが、箱根駅伝は3区で区間6位と好走するも、チームは総合13位に終わった。
大学4年時はキャプテンとしてチームを引っ張った。しかし、故障もあり、前半シーズンは低迷した。6月の全日本大学駅伝関東選考会は4組30着に沈んだが、チームは5位通過。1週間後の日本選手権3000m障害で5位に食い込んだ。
「全日本選考会の失敗を日本選手権で取り返すつもりでした。浮上のきっかけをつかむことができたと思います」
大阪世界陸上の代表に届かなかったが、篠藤はリスタートを切ることに成功。徐々に調子を上げていく。
箱根駅伝予選会で個人4位に入ると、全日本大学駅伝は2区を区間4位と好走した。だが、最後の箱根駅伝を迎えるまでは厳しい時間が続いた。
「9月くらいから調子がよくて、ピークが11月の全日本あたりできていたんです。その後に調子が完全に落ちてしまい、ポイント練習以外はカラダが動かないような状態でした」
12月上旬、篠藤の調子は最悪だったが、キャプテンは復路のエース区間を志願した。
「優勝を狙えるような走りがしたかったですし、悪い順位できたとしても前を追い上げることができる。9区を志願してから気持ちが盛り上がってきて、不思議とカラダも動くようになってきたんです」
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