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【部活やろうぜ!】田中佑美「高校時代は"何か"と戦っていた」ストレスで鼻血を出したことも... (3ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Satoshi Wada

【人間関係に苦労していた】

 両親は小さい頃から自分をひとりの人間として扱ってくれた。その両親からの厳しい言葉はこたえた。そして田中は、幼い頃からの夢をあきらめる決断をした。

「宝塚に向けて具体的に何かが動いていたわけではないので、普段の生活が変わったわけではなかったんですけど、そのあたりから『宝塚にスカウトされたらどうしよう』などと根拠のない妄想をしなくなりました。ちょっと大人になっちゃいました(笑)」

 夢をあきらめたことで、陸上で将来の道を切り開く覚悟が決まったというわけではなかったが、田中はさらに飛躍を遂げることになる。

 高校3年生になると、日本選手権ではシニアのトップハードラーと競り合って6位入賞。大本命として迎えたインターハイでは見事に連覇を果たし、その年は日本ジュニア選手権でも優勝を果たした。

 アジアジュニアやU20世界選手権といった世代別の日本代表の常連になり、国際舞台でも活躍した。しかし当時は、そんな活躍と自身の意識とのギャップに苦しんだこともあったという。

「インターハイから世界大会までを通して、すごさを理解していなかったんです。中学、高校と強豪校ではなかったですし、そこらへんで体操着を着て駆け回っている子だったので、そんな子が世界ユースやU20世界選手権がどうとか言われても、『へぇー』ってなるだけじゃないですか。自分の感覚はそっちでした。

 だから余計に、真剣に競技をしている人たちの温度感が怖かったんです。それに、一緒に世界大会に行った選手たちはみんな明るくて、しかも強豪校の選手同士、仲がいいんですね。私は端っこのほうにいて、ストレスで鼻血を出していました。若い選手らしく、人間関係に苦労していた記憶があります」

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 そんな葛藤を抱えた時期もあったが、高校時代にトップハードラーへの道が開かれたと言っていい。

「高校の部活は......。そうですね。意地になってやっていた部活と言いますか、けっこうトゲトゲしていたと思います。『勝ちたい』というよりも『負けたくなかった』というか。"何か"と戦っていた気がしますね」

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