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「箱根駅伝の手法をマラソンでも」から始まった青山学院大のマラソン挑戦 原晋監督は「『走りたい人、手を挙げて』と...(笑)」 (2ページ目)

  • 生島 淳●取材・文 text by Jun Ikushima

【着想は箱根駅伝の強化メソッド】

 青学大の歴史を振り返ってみると、2015年の箱根駅伝で「三代目・山の神」神野大地(現MABP)が見事な走りを見せて初の総合優勝。しかし、その後に「青学時代」が到来するとは誰も想像すらしていない。

 青学大がマラソンにチャレンジする素地は、すでに2010年代前半に見られていた。

2012年のびわ湖毎日マラソンには、箱根駅伝の2区で区間賞を取った出岐雄大(当時3年)が出場し、2時間10分02秒で9位に入った。このレースはロンドン五輪の選考レースも兼ねていたが、途中の段階では出岐が日本人トップをうかがうシーンもあり、町田の合宿所で見ていた原監督が、

「これ、ひょっとしたら、ひょっとするんじゃないか? と思うほど興奮しました。びわ湖に行っときゃよかったかなと(笑)」

 と話すほど、出岐は見事な走りを見せた(出岐はこのあと中国電力に入社し、青学勢が登場した2016年の東京マラソンがラストランになった)。

 出岐の挑戦は、原監督にヒントを与えたと思う。マラソン挑戦への構想は箱根で初優勝したあとから膨らみ、2015年の夏合宿で監督は学生たちを前に問いかけた。

「全体ミーティングの席だったかな。『このなかでマラソンを走りたい人、手を挙げて』と学級会みたいな感じで聞いたんです(笑)。そうしたら何人かが手を挙げてくれたので、彼らには要所、要所で40km走だとか、マラソンを意識した距離走を入れていきました」

 ポイントは「集団による挑戦」だった。

「マラソン練習、キツいです。淡々と距離をこなす練習が続きます。青山学院の発想は、『苦しいことこそシェアをする』というものです。これは私自身が箱根駅伝を強化するにあたって学んだメソッドで、集団として強くなっていくことで、学生たちの自己肯定感が高まっていくんです。個人だけじゃない。集団としてのプライドも醸成されていく。箱根では結果を出したところでしたから、今度はその手法をマラソンでも取り入れてみようかな、ということになったわけです」

 こうして集団によるマラソン挑戦がスタートした。

 2016年の東京マラソンのスタート地点に立ったのは、箱根駅伝の2区で区間3位だったエース一色恭志(当時3年、現NTT西日本)、8区区間賞の下田裕太(当時2年)、そして箱根駅伝では補欠に回っていた橋本崚(当時4年)の3人だった。

 レースは東洋大の服部勇馬(現トヨタ自動車)が40km地点では日本人トップ、リオデジャネイロ五輪の選考会も兼ねていたこともあり、期待が高まったが、ここから失速。下田と一色が服部をかわし、下田は2時間11分34秒で10位(ちなみに10代の日本人初マラソン最高記録)、一色が2時間11分45秒で11位に入った。服部は一色と競り合って2時間11分46秒。この年は「箱根優勝の青学大対箱根2位の東洋大」という構図がハッキリとしていた。

 レースが終わり、ミックスゾーンで東洋大の酒井俊幸監督が、

「今回の東京マラソンは学校対抗の意味合いが強かったです。その意味では勇馬が一色君に競り負けたのは悔しいです」

 と話していたのが思い出される。

 そしてこの年が青学大のマラソン挑戦の原点になったと言っていい。このあと、昨年の東京世界陸上のマラソン代表になった吉田祐也をはじめ、昨年の別府大分毎日マラソンで日本人トップとなった若林宏樹、大阪マラソンで日本学生記録をマークした黒田朝日らが登場する。

 集団による挑戦と、個人の能力の歯車がかみ合いだしたのだ。

後編につづく:「青学は箱根だけ」に対する原晋監督の痛烈な回答

著者プロフィール

  • 生島 淳

    生島 淳 (いくしま・じゅん)

    スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo

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