【陸上】給水を担当した渡辺康幸が、東京世界陸上で見出した「日本人がマラソンで戦うためのヒント」とは? (2ページ目)
【近藤選手の好走に見る日本人が戦うためのヒント】
――その意味では今回の近藤選手は怖いもの知らずな面もあった。
「そうだと思います。ただ、そうは言っても、三菱重工には、井上大仁選手や山下一貴選手、定方俊樹選手といったマラソンで実績のある選手がおり、そういった選手たちと一緒に練習をしてきているので、練習量には自信があったと思います。
今回の世界選手権は、日本人がマラソンで戦うためのヒントがあったと思いますね」
――"準備"という点では暑熱対策も大きな鍵だったと思います。
「初日の競歩からものすごく高温多湿の状況でしたので、マラソンも非常に大変な状況になるんだろうなと想像していました。
北海道の千歳にヒートルームを設けて、そこで暑熱対策をしてきた選手もいましたが、今回は早く現地に入って調整する選手が多かったです。マラソンの場合、世界大会では直前に選手村に入ることが多いのですが、今回はNTC(ナショナルトレーニングセンター)が使えたのがよかったです」
――レース当日、渡辺さんは給水を担当されていました。
「給水しただけで記事になっていましたからね(苦笑)。僕と河野さん(匡、大塚製薬女子部監督)と一緒に15kmと30km地点の給水を担当していました。15kmでは河野さんは近藤選手に無事に渡せたのですが、大集団だったために、僕が渡そうとしたボトルがほかの国の選手に当たって落ちてしまい、あとのふたりには渡せなかったんです。
僕が落としてしまったばかりに、次の20kmを担当していた人はプレッシャーがあったと思います。無事に渡してくれたので、僕としてもすごく助かりました。30kmは絶対に失敗できないと思っていましたが、そこはうまく渡せました」
つづく
⚫︎Profile
渡辺康幸(わたなべ・やすゆき)/1973年6月8日生まれ、千葉県出身。市立船橋高-早稲田大-エスビー食品。大学時代は箱根駅伝をはじめ学生三大駅伝、トラックのトップレベルのランナーとして活躍。大学4年時の1995年イェーテボリ世界選手権1万m出場、実業団1年目の96年にはアトランタ五輪10000m代表に選ばれた。現役引退後、2004年に早大駅伝監督に就任すると、2010年度には史上3校目となる大学駅伝三冠を達成。15年4月からは住友電工陸上競技部監督を務める。学生駅伝のテレビ解説、箱根駅伝の中継車解説では、幅広い人脈を生かした情報力、わかりやすく的確な表現力に定評がある。
著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。
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