【東京世界陸上・男子110mハードル】村竹ラシッドはいかに金メダル候補のハードラーへと成長を遂げてきたのか? (2ページ目)
【世界で戦うプロセスの中で出したことに価値】
12秒台に強い意欲を持っていた村竹は、福井には12秒台を「見据えて」出場もしていた。だが福井で12秒台を出すことに、こだわっていたわけではない。
「今年のアベレージが13秒15くらいなので、それより上のタイムで走れたら、と思っていました」
"アベレージ"という言葉を、今季の村竹は何度も発している。5月末のアジア選手権(13秒22で優勝)からの帰国時にも「まずはアベレージを落とさないことを大事にしたうえで、どこかの大会でタイムが上振れたらいい」と話したし、8月31日のJAL壮行会後の取材でも以下のように強調した。
「今年のアベレージが13秒11で、この前の12秒92を含めなくても13秒1台前半まで上げられました。ほぼ海外の試合でそのアベレージに持ってこられたのは、去年と比べてもすごく大きい成果です。昨年は海外に行くと、13秒2台の試合が多かったですから。何より世界の強い選手の中で揉まれて、勝負できるようになってきました。そこが一番大きいですし、その経験値を世界陸上本番で生かしたいですね」
村竹はJALに入社した昨年から、海外レースに多く出場してきた。山崎一彦コーチ(順天堂大陸上競技部副部長、日本陸連強化委員長)の考えで、「世界基準」で強化や試合選択を行なってきた。記録を出しやすい国内レースよりも、外国選手のプレッシャーなどで記録を出しにくいダイヤモンドリーグ(DL)出場を優先した。
4~5月のDL2大会(厦門、上海紹興)から帰国時には、「顔を覚えてもらえるようになった」と話した。
「2年前に初めてDLに参加した時は息苦しさもありましたが、今年は話せる選手が増えて、積極的にコミュニケーションをとるようになりました。ビビらなくなって、国内の試合のようなマインドで臨めるようになっています」
山崎コーチは「村竹は(DLなど)記録が出にくい条件でも13秒0台で走ってきました。それは日本のよい条件なら12秒台に相当するものです。福井なら12秒台も出るんじゃないかと思っていました」と振り返る。
世界で戦うことを最優先したためチャンスは限られたが、選手、コーチとも13秒00を"壁"と感じることはなかった。記録だけを狙うシーズンの流れではなかったなかで出したことに、12秒92の本当の価値があった。
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