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ロンドン五輪マラソン代表のプロランナー・藤原新が振り返る「実業団をやめなければ...」から「ポルシェを売ってふっ切れた」まで (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【東日本大震災後の苦悩】

 実業団から離れると、練習場所の確保、食事づくり、レースに出場する際の宿や飛行機の手配から確定申告まで、すべて自分でやらなくてはいけなくなった。それは想定済みでもあったが、2011年に東日本大震災が起こると、スポンサーとの契約金が未払いになるなど、すべての時間が止まり、いろいろな考えが藤原の頭を巡った。

「あの時、日本がどうなるかわからない感じになったじゃないですか。自分も妻子を持つなか、収入がなくなり、しかも、足底筋膜炎で走れなくなったので、実業団をやめなきゃよかったかなと思うこともありました」

 国内の沈んだ空気と同時にさまざまな不安が藤原を追い込んだ。加えて、故障がモチベーションを喪失させた。重度の足底筋膜炎で、朝に起きると激痛で足を地面につけない。仕方なくベッドに戻って二度寝すると、あっという間に夕方になった。

「これはヤバい。このままじゃ終わると思いました。すぐに国立スポーツ科学センターに連絡をして、翌日から宿泊しながらリハビリを始め、2カ月弱でようやく走れるところまで復帰できました。お金がなかったので、前年に優勝したオタワマラソンの賞金で買ったポルシェを売って、国立スポーツ科学センターの宿泊代に充てました。それでふっ切れたような気がします」

 それから数カ月後、2012年2月の東京マラソンで2位に入った藤原は、ロンドン五輪のマラソン代表の座と、日本人トップの副賞のBMWと、新規のスポンサーを手に入れた。売却したポルシェは飛躍への通行手形になった。

(つづく。文中敬称略)

>>>後編「先駆者・藤原新が振り返るプロランナーという生き方『アンチの視線は怖かった』『大迫選手のようになりたかった(笑)』」

藤原新(ふじわら・あらた)/1981年生まれ、長崎県出身。諫早高校から拓殖大学に進み、箱根駅伝には1年時(1区10位)と3年時(4区4位)の2度出場。JR東日本在籍時の2008年東京マラソンで、日本人トップの2位(2時間8分40秒)で同年の北京五輪の補欠に選出。2010年にJR東日本を退社し、プロランナーとしての活動を始めると、2012年の東京マラソンで自己ベストを更新し(2時間0748秒)、ロンドン五輪の代表に選出、本番では45位に終わる。現在はスズキACの男子マラソン監督を務める。

著者プロフィール

  • 佐藤俊

    佐藤俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。

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