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ロンドン五輪マラソン代表のプロランナー・藤原新が振り返る「実業団をやめなければ...」から「ポルシェを売ってふっ切れた」まで (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【マラソンは"的"に当てられるかどうか】

 2008年北京五輪の男子マラソン代表は、前年の世界陸上大阪大会で5位に入賞した尾方剛(中国電力)が3番目のイスを獲得し、藤原は補欠選出となり、オリンピックには届かなかった。

 だが、藤原は同年12月の福岡国際マラソンで3位になり、翌2009年の世界陸上ベルリン大会のマラソン代表の座を射止めた。この頃、藤原は自分の走りに対して、重視していたことがあった。独特の表現でこう語る。

「僕のマラソンの基本的な戦略は、脂肪代謝とよいフォームで走ることの2点です。人は約2000kcalしか炭水化物を蓄えられないのですが、マラソンを走るには2500kcalが必要になる。だから、脂肪燃焼を最大化させることが必要になりますが、そのデメリットは出力が弱いことです。

 出力が弱くて悪いフォームだとスピードが上がった時にすぐに脚が重くなってしまう。だから、小さな"的"にドンピシャで合わせるようによいフォームを出していかないと25kmまでしかもたない。逆に、"的"に合わせられれば42kmいけるし、ラスト1kmを2分50秒で上がれる。その"的"に当てるためには、苦しくてもあきらめないこと。25kmまで我慢していくと、"的"に標準が合わせられる時もある」

 2008年の東京マラソン、福岡国際マラソンの両レースは、それがうまくハマった。だが、世界陸上ベルリン大会は、前半はよかったものの、後半に失速し、61位の惨敗に終わった。そして2010年2月の東京マラソンを2位で走り終えたあと、藤原は大きな決断をする。JR東日本を退社してフリーになることを宣言した。当時はまだ珍しかったプロランナーの誕生だ。

「フリーになって活動するのは、大学を卒業する頃から考えていました。最初は注目されていない選手だったんですが、北京五輪の代表候補になるなど、マラソンで結果を出すと、次第に(練習や出場レースの)自由度がなくなってきたんです。当初は強くなればなるほど自由になれると思っていたのが、実際はその逆だったんです。

 これがこの先も続くのかと思うとモチベーションも保てないし、実際、調子も悪くなった。本当は(2009年の)世界陸上で卒業しようと思っていたんですが、結果が出ず、(半年後の)東京マラソンで結果が出た。ここがいいタイミングだなと思い、レースの翌日に会社に『やめます』と伝えました」

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