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2度目のオリンピックは途中棄権に終わった土佐礼子の告白「マラソンを走っていた10年間は無月経だった」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【生理がないことを深刻にとらえていなかった】

 そのまま救急車で病院に運ばれ、自分が走っていたレースのゴールシーンを病院のロビーで見た。

「病院のロビーで優勝した選手のゴールシーンを見ていたのですが、何か違うレースを見ているような感覚でした。私を応援してくれる皆さんの期待に応えたかったのですが、逆に皆さんをガッカリさせてしまった。そのことがすごく心残りでしたし、(途中棄権という)結果よりもキツかったです」

 出場したことに悔いはないが、最後まで走れなかったことは土佐の心に大きなしこりとなって残った。

「日本に戻り、ケガが治っていくなかでマラソンのキャリアを途中棄権で終わらせたくないなという気持ちがすごく大きくなっていったんです。でも、(五輪後に)実業団選手として一線を退く決断をしたので、チームに残って走ることはできない。そこで監督のもとを離れて松山に帰り、地元でリスタートすることに決めたのです」

 練習メニューは市民ランナーである夫がつくり、時には母親がストップウォッチを持ってタイムを計測してくれたり、給水をしてくれたりもした。家族総出のサポートのおかげで状態が上がり、20092月、香川丸亀国際ハーフマラソンで1時間1058秒の4位と復活。同年3月の東京マラソンでは2時間2919秒で3位になった。

「北京の途中棄権のままで終われないので、東京でマラソンを走りきれたのが一番うれしかったです。(2時間)30分を切るのは難しいかなと思っていたけど、とりあえず20分台でいけたのはよかったですが、再びオリンピックでメダルを狙うレベルでないことも感じました」

 東京マラソンが終わり、三井住友海上女子陸上競技部に在籍したまま「プレーイングアドバイザー」に就任し、拠点を松山に移した。それから半年後の2009年9月に妊娠がわかった。

「実は、マラソンを走っていた10年間は無月経だったんです。『ザ・昭和』という感じで、生理が止まるのは当たり前、競技をやっている以上はそれが普通だと思っていたんです。『生理が来ないから骨の状態にも影響したのでは?』と、後でいろいろな方に言われたんですけど、そういう考えにはまったく及んでいなかったですね。

 当時の私は生理がないことを深刻にとらえていなかった。大学時代は普通に生理がありましたし、実業団から離れて松山に戻ってくると生理がまた始まる。現役時代は走ることに気持ちを切らさずにやってきたので、そういうメンタル面でも無月経につながってしまっていたんだと思います」

 土佐は2010年に第一子、13年に第二子を出産した。今の土佐は「無月経が体にいいことはないので、当たり前だと思わないように」と練習に打ち込みすぎる若い女性選手たちに警鐘を鳴らしている。

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