2度目のオリンピックは途中棄権に終わった土佐礼子の告白「マラソンを走っていた10年間は無月経だった」 (4ページ目)
【「五輪に2回も出て、私は本当に幸せなランナーだった」】
2012年3月、名古屋ウィメンズマラソンが現役最後のレースになった。
ロンドンマラソンやアテネ五輪で肩を並べて走ったポーラ・ラドクリフ(イギリス、当時の世界記録保持者)が2007年1月に長女を出産後、同年11月のニューヨークシティマラソンで優勝し、娘を笑顔で抱きかかえている姿を見て、土佐は「いつか私もチャレンジしたい」と心に決めていた。しかし、子どもが生まれ、育児をしていくなかで、トレーニングは思うように進まなかった。
「名古屋は、アテネ五輪を決めた場所だったので選びました。『練習もできていないし、走れないのになぜロンドン五輪の選考レースに出るの?』って思うかもしれないですけど、自分のなかで区切りをつけたかったんです。オリンピックで味わった悔しさはオリンピックで返したいとも考えていました。
タイムは2時間43分11秒で、選手としてはまったく勝負できませんでしたが、悔いはなかったですね。ゴール後に、2歳になる娘を抱っこすることもできました。五輪を走るようなレベルじゃなかった自分が、五輪に2回も出て、世界と戦う経験ができた。私は、本当に幸せなランナーだったと思います」
山あり谷ありの競技人生を過ごした土佐は、今も走っている。なぜか。
「もともと走るのが好きだからですね。それに走ることがもう生活の一部になっているからです。全然走れないと気持ち悪いなあと思いますし、今は市民マラソンのゲストとして呼んでもらうことも多くて、その時、走れないと恥ずかしいじゃないですか。今は市民ランナーの皆さんのほうが速いですけど、それなりに走りたいので、これからも走り続けていきたいですね。ただ、サブ3(3時間以内)は無理です。サブ4(4時間以内)ぐらいで、皆さんに『がんばって!』と言いながら走っていきたいと思います(笑)」
(おわり。文中敬称略)
土佐礼子(とさ・れいこ)/1976年生まれ、愛媛県出身。松山商業高校、松山大学を経て三井海上(現・三井住友海上)に入社。オリンピックは2004年アテネ(5位入賞)、2008年北京(途中棄権)と2大会連続で出場。世界陸上にも2001年エドモントン、2007年大阪と2度出場し、共にメダル(銀、銅)を獲得。現役時代に出走したマラソン15大会のうち12大会で5位以内(優勝3回)と抜群の安定感を誇った。自己最高記録は2時間22分46秒(2002年ロンドン)。
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。
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