日本の駅伝文化を支える外国人ランナーたちのリアル 日本語も仕事も覚えたのに引退すると滞在ビザを取得できない...
コモディイイダ加入6年目、惣菜部に在籍するキマニ選手。同じケニア人のチームメートのサポート役もこなしている photo by AFLO
【箱根駅伝で活躍した、ある留学生ランナーのその後】
今年2月、あるSNSの投稿に目が留まった
「【求人】 亜細亜大学の最初の留学生として活躍された ビズネ ヤエ トゥーラさんが、日本でチャンスがあれば指導の仕事をしたいと探しています。世界のトップといえるエチオピアのナショナルチームでコーチを8年経験し、日本語はほぼ完璧。4月12日まで日本にいるということです。」(原文ママ)
亜細亜大在学時、箱根駅伝に4年連続出場したビズネ・ヤエ・トゥーラ。4年時の第72回大会(1996年)では1区を走り、駒澤大の藤田敦史(現・駒澤大陸上競技部監督)との激闘を制して区間賞を獲得した。当時は、史上初のエチオピア出身の選手としてもクローズアップされた。
大学卒業後は実業団で走り、引退後はエチオピアに帰国。ナショナルチームのコーチを8年間務めるなど指導者として活躍していた。その経験を生かして今度は日本で指導をしたいと考えた。それを知ったのが、埼玉県に拠点を置く実業団チーム、コモディイイダの駅伝部の会沢陽之介監督だった。
会沢監督は日本語が堪能なビズネと電話で話をした後、前述のようにSNSで支援を求めた。すると、1社から連絡があり、交渉をすることになった。
「よかれと思って話をつないだのですが、彼は家族を養わないといけないこともあり、求める給与と想定していた給与との相違があり、うまくいきませんでした。エチオピアとは文化も国民性も違うので仕方ないですが、(日本で)コーチをすることが最優先だったはずなのに、ちょっと残念でしたね(苦笑)」
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著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。