東京2025世界陸上メダル候補、村竹ラシッドの人生を変えた1回のフライング 「走ることも許されず...」 (2ページ目)
【家にずっと引きこもっていた】
――失格になってしまったときの心境はどうだったんですか。
「もう絶望ですよ(笑)。ちゃんと走って4位とか5位になって代表に選ばれないのなら仕方ないですが、走ることも許されなかったわけですから。それが自分的にはこたえましたし、今までの人生で一番悔しいレースとして心に刻まれています。そういう意味でパリ五輪は、それまでの3年間抱えてきた悔しい思いを解放した場でもありました」
――今は笑って振り返ることができても、当時、すぐに気持ちを切り替えられたのですか。
「無理でしたね。レースが終わってから1、2週間は部活にも行かず、家にずっと引きこもっていました。しばらくはひとりでいたかったんです。でも、友達や周りの人が心配して家に来てくれて、話を聞いてくれたことに救われました。1カ月後くらいですかね、気持ちを切り替えて、またグラウンドに行けるようになったのは」
――話を聞くと東京五輪選考会の失敗と、パリ五輪の躍進は1つのストーリーとしてつながっているように思います。その意味では、あのフライングがあって今がある、みたいな思いもあったりするのでしょうか?
「東京五輪に出られなかったことがパリ五輪につながったのは確かですが、そこまでポジティブじゃないですよ。あんな経験、できればしないほうがいいに決まってるじゃないですか(笑)」
――東京五輪は「補欠選手」として、会場で見ていたそうですね。
「会場で見ていれば、どうしたって『もしかしたら自分もここに出られたかもしれない』と思ってしまいます。日本陸連の方から声をかけてもらったときは、ためらいがありました。ただ、最後は先に進むにはしっかり目に焼き付けたほうがいいと思い、無理やり行くことにしました」
――いま振り返って、東京五輪からパリ五輪までの3年という時間はどう感じますか。
「めちゃくちゃ長かったです。『いつになったらこの悔しさを晴らせるんだろう』って、ずっと思ってましたから(笑)」
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