東京2025世界陸上、「世界から一番遠い種目」のメダル候補、村竹ラシッドが語るパリ五輪の「歴史的快挙」
村竹ラシッドインタビュー(1)
パリ五輪男子110メートルハードルで日本人初のファイナリストとなり、今年は34年ぶりの東京開催となる世界陸上(9月13日~21日)でメダル候補のひとりとして期待される村竹ラシッド(JAL)。
大学2年だった2021年の東京五輪では、選考会となった日本選手権決勝で、まさかのフライングにより出場を逃したものの、その悔しさをパリ五輪で晴らすと、次のターゲットは「国立競技場でのメダル奪取」と宣言する。
23歳、社会人1年目。そんな伸び代たっぷりなハードラー村竹ラシッドに、東京五輪の失格からパリ五輪、また今後の目標について聞いた。
パリ五輪110メートルハードルで5位に入賞した村竹ラシッド photo by JMPAこの記事に関連する写真を見る――まずはパリ五輪について聞かせてください。大会が終わってしばらく経ちますが、どういうシーンがいちばん印象に残っていますか?
「パリ五輪の陸上トラック競技では、優勝者が競技場に設置されていた鐘を鳴らすことができたのですが、パッと思い出すのは、決勝が終わったあと金メダルを獲ったグラント・ホロウェイ選手(アメリカ)がその鐘を鳴らしていたこと。それを見て、うらやましいと思ったのを覚えています」
村竹はメダルにこそ届かなかったものの5位入賞。陸上短距離種目では、1932年ロサンゼルス五輪100メートルで6位に入り「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳を上回る順位だった。かつて男子110メートルハードルが「世界から最も遠いスプリント種目」と言われていたことを考えると、それがどれほどの快挙だったかがわかるかもしれない。
――決勝後は達成感、悔しさなど、さまざまな感情があったと思います。一番強かった思いは?
「直後はやりきったという達成感が大きかったです。24年は五輪に出場し、そして決勝に進出することが目標で、どちらも達成できましたから。しかも決勝でドベ(最下位)じゃなく、しっかり戦えて5位になれた。ベストは尽くせたかなと思っています」
決勝のタイムは13秒21で自己ベストの13秒04には及ばず。1台目のハードルを足にかけ倒してしまったが、途中まで3位争いをし、銅メダルのラシード・ブロードベル(ジャマイカ)との差はわずか0秒12だった。
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著者プロフィール
栗原正夫 (くりはら・まさお)
1974年6月11日生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、放送、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年からフリーランスに。サッカーを中心に国内外のスポーツを取材し、週刊誌やスポーツ誌に寄稿。ワールドカップは1998年、夏季五輪は2004年からすべて現地観戦、取材。メジャーよりマイノリティ、メインストリームよりアンダーグラウンド、表より裏が好み。サッカー・ユーロ、ラグビーワールドカップ、テニス4大大会、NBAファイナル、世界陸上などの取材も多数。