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東京2025世界陸上、「世界から一番遠い種目」のメダル候補、村竹ラシッドが語るパリ五輪の「歴史的快挙」 (3ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

【いい感じに悔しさが残った】

 初の五輪決勝も、硬くなることなく、リラックスした走りができたと振り返った村竹。予選は全体2位(13秒22)通過だったが、危なかったのが準決勝だ。男子110メートルハードルの準決勝は3組に分かれて行なわれ、各組の上位2着までとそれ以外のタイム上位2人の、合わせて8人が決勝に進む。村竹は1組で走り、複数のハードルに足が当たり13秒26で4着となっていたものの、全体8位で決勝へ滑り込んだ。

――準決勝はタイムでなんとか拾われました。心境はどうだったのですか?

「正直、(決勝進出が)決まったときはホっとしました。走り終わったあと、2組と3組が終わるのを"懺悔室"と呼ばれる待機室で待っているのですが(笑)、その場所からだと2組と3組の着順がわかり難くて。だから2組のトップのタイムが早かったときは『もう終わったな』と思っていましたから」

――準決勝1組は村竹選手のほか、パリ五輪で金メダルを獲得するホロウェイ、東京五輪金メダルのハンスル・パーチメント(ジャマイカ)らが同居する厳しいグループでしたね。

「普通は、予選の上位選手が違う組になるはずが、なぜか予選1位のホロウェイ選手と2位の僕が一緒になったうえに、パーチメント選手、予選で一緒になった(決勝4位の)スペインのエンリケ・リョピス選手がいて、そこで2位以内はかなり厳しいかな、と。ただ、言い方はよくないかもしれないですが、下位の4選手とは少しタイム差があって(タイムで拾われる)プラス2にはなりやすかったのはあります。なので、終わってみたらよかったですが、心臓にはよくなかった。組分けが決まったときは、一瞬、"柔道団体戦(の最終戦の階級決定時のデジタルルーレット)"のことが頭を過ぎりましたからね(笑)」

――大会後の周囲の反応はどうでしたか。

「周りの人が自分以上に喜んでくれたのはよかったです。直後はスマホにも想像以上のメッセージが届いたり。終わってみれば、決勝進出という当初の目標は達成できましたが、いい感じに悔しさも残ったので、今回の結果に甘んじず、次のステージに進める状況になったのはよかったかなと思います」
(つづく)

【profile】
村竹ラシッド
2002年2月6日、千葉県生まれ。JAL所属。男子110メートルハードル日本記録(13秒04)保持者。小学5年生で、担任から陸上競技を勧められたことがきっかけで陸上競技を始める。順天堂大学在学中の2022年、世界陸上競技選手権大会オレゴンに出場。パリ五輪では5位入賞を果たす。

著者プロフィール

  • 栗原正夫

    栗原正夫 (くりはら・まさお)

    1974年6月11日生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、放送、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年からフリーランスに。サッカーを中心に国内外のスポーツを取材し、週刊誌やスポーツ誌に寄稿。ワールドカップは1998年、夏季五輪は2004年からすべて現地観戦、取材。メジャーよりマイノリティ、メインストリームよりアンダーグラウンド、表より裏が好み。サッカー・ユーロ、ラグビーワールドカップ、テニス4大大会、NBAファイナル、世界陸上などの取材も多数。

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