箱根駅伝「山の神」若林宏樹の初マラソンはなぜ成功したのか? マラソンでも青学旋風が吹く? (2ページ目)
【青学大は黒田、太田が若林に続くのか?】
関係各所に取材をして驚いたのは、どうやら若林は100パーセントの状態でレースに臨んだわけではなかったということだ。
そのため当初、若林がターゲットにしていたのは、出身地である和歌山県記録の2時間18分36秒を切ることにあった。
まず、体調が万全ではなかったようだ。箱根駅伝が終わってから、5区を走った反動があり、体調が思わしくなく、2週間ほど回復を優先させていたという。それだけ、山上りは過酷だということだろう。
そして、距離に対する不安もあった。大学生の場合、どうしてもハーフマラソンの距離に特化した練習メニューが秋以降に組まれる。テレビで解説を務めた原晋監督が、「若林は、練習では35kmまでしか走ったことがないので、後半に不安はあることはあります」といった趣旨のことを話していた。
箱根駅伝が終わってからの体調不良、そして距離練習の不足といった複合的な要素から不安は拭えなかったのだが、若林は見事に走り切った。
なぜ、若林の初マラソンは成功したのか。
「陸上人生を懸けたレースと思って臨んだ結果です。10年間の陸上人生を締めくくる良いレースになったと思います」
本人がそう話したように、現役最後の走りと決めていたことで、集中力が増したことはプラスに働いたのだろう。改めて、メンタルが大きく影響する種目だと感じた。
そして、スタミナが最後の最後までもったことに関しては、原監督が、「年間を通して山上り対策をしてきた成果でしょう」という見立てを話していた。原監督からすると、山上り対策はフルマラソンに有効だということになる。
これはとても興味深い論考だ。
2006年から2017年まで、区間距離が延長された。当初の狙いは「マラソンランナーの育成」だった。しかし、世界の長距離界がスピード化していったことで、山上りは必ずしも育成には適していないということで、2018年からは区間距離が短くなった。
ところが、若林は山対策の有効性を証明した。春から初夏まではトラックでのスピードを磨きつつ、秋以降はハーフマラソンの距離の練習を積み重ねることで、対応できることを実証して見せたのだ。
これも新たな「青学メソッド」といえるだろうか?
このあと、大阪マラソン(2月24日)には「絶対外さない男」、箱根駅伝では2区を走った黒田朝日(3年)、そして東京マラソン(3月2日)には4回連続で箱根を走った太田蒼生(4年)がエントリーされている。
ふたりは山上り対策をしてきたわけではないが、若林と同等の力を持つ選手たちだ。若林の走りに刺激を受け、さらに上を狙ってくることも考えられる。大阪、東京で「青学旋風」が続くことになれば、実業団勢にとっては沽券に関わる事態となってくる。
さて、若林である。レース直後には、「世界と戦える結果であっても、ここで区切りをつけると決めていましたし、それはブレないと思います。悔いはありません」と話していたが、レースから一夜明けると、「もし、代表に選ばれたら会社と相談します」とスポーツ紙にコメントしている。
大阪、東京のふたつのマラソンを残して、若林が選ばれる可能性はゼロではないという段階だ。
それでも、初マラソンでこれだけの結果を出したのだから、現役続行を望む声が高まっていくかもしれない。
若の神がもう少し現役を続けてほしいという気もするのだが、さてーー。
著者プロフィール
生島 淳 (いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo
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